以下は、7月12日の対話集会(「311後の日本社会と心中するのはバカバカしい」、311後のゴミ屋敷に化した日本社会を再建するための報告と対話集会)のあと、会場で日本版の会の正会員を申し込まれた元数学の教員のKさん宛てに書いた「対話」、その2。
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15歳頃のガロアの肖像画(1)の続き、311福島原発事故を「ゲーデルの不完全性定理」的な視点から振り返る、です。
311まで日本政府は、日本の原発はチェルノブイリのようなちゃちな原発ではないから、「日本で原発事故は起きることは絶対ない」と太鼓判を押していました。しかし、現実には起きました。
そこで、日本政府は日本に起きた福島原発事故をどのように受け止めたか。その答えは「あれ(福島原発事故)はチェルノブイリ事故のような事故ではない。誰も死んでいないし、誰も健康被害を起こしていない。だから、ちょっとした事故として、ジタバタ騒ぐことはない」という、我々市民のカタストロフィに対する本能的恐怖を最大限活用して、彼らなりの解を提示しました。 そうだとしたら、本当に騒ぐようなことは何一つ必要なかった。
だが、その一方で、ちょっとした事故だったら到底あり得ない、超法規的な、つまり法的にはクーデタと評するほかないような独裁国家としての面目躍如の蛮行に出ました。その最初の一歩が、日本の法律に基かず、海外の民間団体の文書(国際放射線防護委員会(ICRP)の2007年勧告)に基いて出された文科省20mSV通知。
次に、それをキッカケに、次々と出された「安全基準値の引き上げ」です。もともと「安全基準値の引き上げに関する大原則とは「危機管理の基本とは、危機になったときに安全基準を変えてはいけないということです。安全基準を変えていいのは、安全性に関する重大な知見があったときだけ」である(2011年11月25日「第4回低線量被ばくのリスク管理に関するワーキンググループ」での児玉龍彦氏の発言〔21分~〕)
つまり、
基本原則1: 危機になったときに安全基準を変えてはいけない。
基本原則2:安全基準値の変更が許されるのは、「安全性に関する重大な知見があったときだけ」「安全についての新しい知見が生まれた」(児玉龍彦VS金子勝「放射能から子どもの未来を守る」157頁)ときだけ。
これは人々の命と健康を守るための人権上の大原則を意味します。しかし、国は別に「安全性に関する重大な知見があった」訳ではないのに様々な安全基準値を引き上げました。
もし真実、誰も健康被害を起こしていないほどの、ちょっとした事故だというのなら、なぜ、戦後、民主主義国家・法治国家の一員として歩んできた日本政府は、311でいきなりこのような法的なクーデタに出たのか。それは、福島原発事故が発生した時、日本政府は決定不能な状態に陥ったからですーー事故をリアルにそのまま認めるのか、それともたいしたことのない小さな事故に矮小化するのかという。権力内部の水面下での逡巡の末、日本政府は後者の道(原発事故の矮小化)を選択しました。しかし、これですんなり決定不能の難問が解決した訳ではなかった。その解を選択した結果、今度はまた新たな決定不能の問題に直面したからです。それがどうやって、矮小化した原発事故の後始末(我々市民にとっては命、健康、暮らしの救済)を法律的な整合性をとって進めるか、でした。これも超難問でした。なぜなら、311まで日本には福島原発事故級の放射能災害を予定しておらず、これに対する法の備えが皆無=法の全面的な欠缺状態だったからで、原発事故の後始末するための道具=法的手段が制定されていなかったからです。
そこで、権力内部の水面下での逡巡の末、日本政府は法がないんなら、無法でやるしかないと、行政の独裁権力を行使するだけだと決断を下した、それが日本の法律に基かないで、外国の民間団体の勧告に基いくという体裁を取り繕った文科省20mSV通知です。なぜならもともと権力者とは、例外状態において決断をする者だからです(カール・シュミット「政治的神学」)こうして、日本政府は緊急事態の道(法的なクーデタ)の道を選択したのです。
なぜそのような独裁権力と非難されても弁解不可能な無理難題、支離滅裂な決定を下したのか。その根本的な理由はそもそも福島原発事故が従来の事故の枠組みではとうてい捉えられない、未曾有の事故だからです。それを「ちょっとした事故」で片づけようとするので、その解が完全に破綻するほかなかったからです。その異常事態の状態が311以後、ずっと続き、それが311後の日本社会のバックボーンを形成している。
以上のような意味で、日本政府自身がずっと決定不能な状態に陥っている。311後の日本社会を見ていて、そう感じました。
そこで、311後の、日本政府が決定不能に陥った問題を解決するにはどうしたらいいのか。その当時、再稼動反対、原発廃炉の声が沸き起こり、世論になりましたが、それはそれで大切なことでしたが、だが、これが日本政府が決定不能に陥った福島原発事故の救済の問題の解にならないことは明らかでした。
そこで、緊急を要する「福島原発事故の救済の問題」の解を求めて、井戸謙一さんたちと、福島の子どもたちの集団疎開を求めて「ふくしま集団疎開裁判」を提訴したわけですが、この裁判の時に、私ら弁護団自身が20mSV通知を出した文科省と同様の決定不能のジレンマに直面しました。なぜなら、我が国は311まで原発事故が起きるとは思っていないから、原発事故を想定した救済の法律が存在しなかった、つまり福島県の子どもたちの集団避難を根拠付ける法律が見つからなかったからです。チェルノブイリ法はありましたが、これは他国の法律であって、そもそも条約でもないから、根拠法として使うことができませんでした。もしこのときチェルノブイリ法日本版が制定されていれば、我々は裁判を起こすこともなく、福島の子どもたちの集団疎開を要求できたのです(今の311子ども甲状腺がん裁判と同様ですが)。そのことを痛恨の思いで感じたときのことを覚えています。
そして、もし、この時「ふくしま集団疎開裁判」が勝訴していれば、福島県の子どもたちの集団疎開は実現し、その勢いに乗って、チェルノブイリ法日本版の制定運動が盛り上がり、その実現も十分可能性がありました。だから、日本政府は「ふくしま集団疎開裁判」が天下分け目の決戦だと踏んでいた。矢ヶ崎さん、岡田さん、後藤さんたち日本内外からたくさんの人が応援してくれましたが、勝利まであと一歩のところで、2013年4月、この裁判は敗退しました。その敗退の中で、もうひとつの解として浮上したのがチェルノブイリ法日本版です。だから、もし「ふくしま集団疎開裁判」が勝訴していれば、チェルノブイリ法日本版という解は取り上げなかった。一歩前進、二歩後退みたいな形で裁判が敗退したために、そこで、新たな解を求めて、行動を起こすしかなかった。それが「チェルノブイリ法日本版」です。
しかし、本当に、「チェルノブイリ法日本版」が実現可能なのか、「ふくしま集団疎開裁判」の敗退当時、正直のところ、まったく自信がありませんでした。もちろん私の周りの人に、「チェルノブイリ法日本版」の話をしても何を寝言みたいなことを言っているのかと思われるのが落ちでした。なので、自信をなくした私は、いったん、日本から逃げ出して、カナダ・モントリオールの開催された世界最大の市民運動「世界社会フォーラム」に参加して、そこで福島の現実を訴えました。そしたら、「世界の常識は日本の非常識」で、そこに参加した世界市民から、「チェルノブイリ法日本版」は圧倒的な支持を受けました。その支持に背中を押され、帰国して、そこで、当時、保養の活動で行き詰まりを感じていた三重のお母さんから相談を受けて、じゃあ、「チェルノブイリ法日本版」を今まで誰もやったことのない解決方法で挑戦しましょう、と一歩前に踏み出すことにしたのです。その解というのが「市民立法」でチェルノブイリ法日本版を実現するという日本で情報公開法の成功したやり方でした(以下が、その時、お母さんが日本版制定を呼びかけた文章)。
チェルノブイリ法日本版の条例制定を一緒にやりませんか(2017.5)
この「市民立法」というアイデアが私を「チェルノブイリ法日本版」制定に一歩踏み出す原動力になったのですが、そのようなアイデアを与えてくれた原点は実は数学でした。具体的にはガロアの群論でした。ガロアの群論は理解するのが難しくて、未だに判然と理解できていないのですが(最近も「ガロア偉大なる曖昧さの理論」に接し、驚いた)、当時、私は、ガロアの群論に対する挑戦について数学者の次の解説を読み、全面的に共感しました。それなら、日本版も同様に挑戦してみる価値があると、背中を押されたのです。
数学においてはよく起こることだが、問題が極めて困難なとき、人類はそれまでとはちがった新たな方法が要求されていることを理解し、それを見出してきた。その結果、この新たな方法はその問題の解決が必要としたものよりもはるかに実り多い、適用範囲の広いものとなった。アーベル、ガロアの貢献は5次方程式を解くという個別の問題を完全に解いたばかりではなく、方程式の解法を超えた数学全体に新たな基本的な概念すなわち群の概念を与えたことにある(デーデキント「数について」(岩波文庫)の訳者河野伊三郎解説)。
日本版の制定に向けての取り組みが困難なのは、いくつもの理由が挙げられます。しかし、基本的にそれは原発事故という日本史上初めてのカタストロフィーに対する解決策がなかったということ、そこで、日本の市民運動が従来から抱えている根本的な課題が否応なしに浮上し、それらと直面せざるを得ないということ(例えば、菅谷昭さんがつとに指摘される日本市民の特性「難治性悪性反復性健忘症」など)に由来します。だから、困難なのは当然です。
しかし、小出裕章さんが言われるように、ひとたび原発事故が起きた以上、「時計はもとには戻せない。私たちは汚染された世界に生きるしかない」。そうだとしたら、その現実と向き合う中で、いかに、311後の未曾有の世界を、311までの「既成概念のメガネ」ではなく、311まで見たことのない「新たなメガネ」をかけて、再発見、再構成し、それでもって市民立法に再挑戦するしかありません。それが、私が学習会のパワポ資料の表題に掲げた
「すべての認識と希望の扉を叩く」
http://1am.sakura.ne.jp/Chernobyl/181222presen.pdf
ことでした。その時、このすべての認識と希望の扉を叩く原動力のなる「新たなメガネ」、それが私にとっては数学のアイデアでした。
そして、チェルノブイリ法日本版の制定が困難であればあるほど、そのために取り組む私たちの挑戦は、否応なしに、日本社会が抱える様々な困難な課題、困難を、根本から変革していく大きな原動力になることを、上に述べたガロアの群論の意義から確信したのです。
今月12日の対話集会の第2部に参加した若者が、感想として「自分は外国人排斥のヘイトスピーチに反対するアクションに参加しているのだけれど、今日聞いた「生成法」の話、私たち市民一人ひとりの行動が法律を生成する原動力なのだというお話は自分が取り組んでいるアクションに新しい光を当ててくれるもので、とても元気が出た」旨を言いました。
これを聞いて、人々は日本版の取り組みに参加することで、自分たち自身の取り組みの意味にも新たな光が当てられ、新たな意味を再発見できるのだと確信し、この意味で、日本版の取り組みが日本社会を根底から変えていく力になれるのではないかという希望を抱きました。だから、「すべての認識と希望の扉を叩く」 必要があり、そのために数学を学ぶことが大切なのだと思いました。

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