2026年7月1日水曜日

【第19話】人権についてのつぶやき(3):人権が無力でないとしたら、それはどんな意味で力なのか?(26.7.1)

その3:人権の起源はどこにあるのか?
その関連でもう1つ、
その3-2:各人にとって、人権の個人的な起源はどこにあるのか? つまり、或る人が人権に目覚める瞬間とはどこか?

人権の起源について正面から論じた文献を、司法試験の受験勉強中もその後も、見たことがない。憲法の神様みたいに言われる宮沢俊義の教科書にも書いてない。
それに対し、人権の歴史的起源は13世紀イギリスの「マグナ・カルタ(大憲章)」にあるというのが大体の説明だ。しかし、これは当時、国王と貴族の間の政治的妥協の産物として誕生したルールがのちに近代に至り、市民(ブルジョア)によって自分たちが絶対王政の権力を制限するルールとして再発見されたことを説明するだけで、それ以上、
なぜ、「国家に先立つものとしての自然権としての人権」などという、それまで国家からみたら「幻想でしかない」と吐き捨てられるような人権の考え方が承認されるに至ったのか、その奇跡のような瞬間がどのようにして誕生したのか、その瞬間のカラクリを明らかにすることについては何も説明していない。
それを説明することーーそれが「人権の起源」。

宮沢俊義の教科書のように、17世紀のイギリスの清教徒革命、18世紀のアメリカ(独立)革命、フランス革命の中で、人権が出現したと書かれているだけで、なぜ、そのような事件を通じて、上記に書いたような奇跡の瞬間が訪れたのか、そのカラクリや理由については何も説明がない。まるで、人権はあたかも自動的に誕生したかのように、或いは天から降ってきた自然現象であるかのようにしか書かれていない。これでは、人権は魔法を掛けられて出現した魔術みたいなもので、そこからは精々、ああ、魔法というのは法律をもじって出来た言葉なんだと合点してしまうだけの、実に不可解な説明だ。

その魔法の謎を私に解いてみせてくれたのが、30年前、埼玉県の私立学校自由の森学園で開いた第1回自主講座に呼んだ批評家の柄谷行人だった。
そこで、彼はこんなことを語った。
人権が最初に認められたのは「宗教の自由」と言われているけれど、それは決して、宗教の自由を尊重する念が高まってその自由が認められたのではない。むしろ事態は正反対であって、異なる宗教党派同士の情け容赦ない残虐な宗教戦争の果てに、それに対する深刻な反省から、他者の信仰に対する「寛容」の精神の重要性が自覚され、そこから「宗教の自由」が認められるに至った。
つまり、人権の最初のメニューである「宗教の自由」の起源は、お互いに異質な掟を持ち、異質な信仰を持つ共同体同士が、対立・抗争・排斥・虐殺の果てに自覚された、自分と異なる共同体の信仰に対する「寛容」の精神にあると。

当時、この学校は、自由という刑罰を受けて激しい校内暴力が吹き荒れていて、集団退学問題をめぐって学内で、主流派と反主流の間で深刻な論争、バトルが続いていて、さながら宗教戦争のような凄惨な権力闘争みたいな様相を帯びていた(故・自由の森)。そのため、柄谷行人の「寛容」という言葉は私も含めそこにいた人たちの心に強く響いた。「そうなんだ、人権というのは寛容なんだ」と自分たちがまるで400年以上前の宗教戦争と同じことをしていることに気づかされ、「寛容」という解決のアイデアも教えてもらい、目をキラキラ輝かせながら語ったこの学校の職員のTさんの言葉を今でも覚えている。

しかし、他方で、それ以降、私の中では、これ以上、人権の起源である「寛容」について掘り下げようとは思わず、ここで止まってしまった。
その人権の起源が再び呼び出されたのが、2014年、マンガ「美味しんぼ」の福島原発事故にまつわる描写に政府、自治体から加えられた激しい非難という「美味しんぼ」事件だった。ただし、このときには政府、自治体の人権侵害に対する反撃・抵抗というアクションに追われ(>こちら抗議声明)、それ以上、人権の起源である「寛容」について掘り下げる時間的余裕がないまま、過ぎてしまった。

それで、今回、7.12集会の準備の中で、メンバーのひとりの「人権とは何か?よく分らない」というつぶやきに応えられるだけの準備が不可欠ではないかと思い直し、それで、人権の起源である「寛容」について冗談半分にAIに尋ねたところ、
ピュァリ「思想の自由の歴史」が傑作だ、
という回答で、半世紀近く前に買ったきり読んでいなかったこの本を読み、その内容に驚愕してしまった。

というのは、それまで私は、「宗教の自由」は漠然とプロテスタントの側からもたされたものだと考えていた。しかし実際はそうではなくて、プロテスタントもまた、カソリックと同様、自分たちの宗教こそ真理=正統であり、これと異なる異端の信仰に対しては厳しく取り締まったのであり、そこに「宗教の自由」など認める余地はなかった。それまで私は、宗教戦争は主にカソリックの側からプロテスタントに仕掛けられたものとばかり思って来たが、それもまた思い違いだった。どちらも相手を異端と考え、異端を撲滅することが自らの使命と考えていたから、あそこまで、徹底的な対立・抗争・排斥・虐殺が可能になった。宗教戦争の文献の中に、プロテスタントがカソリックの教徒を虐殺するシーンがあるのに出くわすと、「これは何かの間違いではないか」と急いでそこから離れた。が、これは間違いでも何でもなく、宗教的非寛容の彼らの確信からの当然の帰結だった。
その結果、「宗教の自由」はカソリックでもプロテスタントでもなく、どちらでもない人たちからもたらされた。
その代表格が宗教戦争の悲惨さを目の当たりにして猛省した、イギリスのロック、フランスのヴォルテールだちだった。彼らが宗教的寛容を説いた。それは暗黒の中から光を掴み出すような取り組みだった。それがジワジワと多くの人々の心を捉え、ついに国家や宗教組織ですら否定できない「前国家的な存在」である人権の起源となった。
言い換えれば、人権は、昨今、狂信的政治家として名を馳せているイスラエルのネタニヤフ首相が、次期総選挙に向けて、「まず第一に、排斥の終結だ。私は誰も排斥しない。基本原則、すなわち『イスラエルはユダヤ人の民族国家であり、われわれは個人の権利を尊重する』という点に同意しさえすれば、誰もが参加できる」と表明したように、人権は政治・政策を遂行するうえで最も手軽かつ効率的に持ち出せる便利の手段なんかではなく、その起源からも明らかな通り、対立・抗争・排斥・虐殺の果てに深刻な悔悟、反省の中から生まれた(敢えて言えば)魂の叫びのようなもの。

この人権の誕生の瞬間は、今後、人類が生き延びるために、何度でも反復する価値のある最も貴い歴史的経験だといま改めて思う。

ちなみに、チェルノブイリ法日本版の結成集会の翌年2019年夏に、オーストラリアから私の住む川越まで会いに来た小川さんは、その場ですぐ正会員になりますと言ったのは、実は(その後、ブックレットの基本理念として表明された)「政治・政策から人権にシフト」することの決定的な重要性を自らの体験の中で掴んでいたからだった。それは原発問題の解決について彼なりの反省の末にこの問題は人権で解くしかないと、あたかも、400年前の宗教戦争の対立・抗争・排斥・虐殺の果てに深刻な悔悟、反省の中から生まれた「寛容」という人権の誕生についてみずから追体験したからだった。
しかし、川越駅前の喫茶店で小川さんに初めて会ったとき、私は、すぐ入会した彼のことを「世の中にはいろんな変わった人がいるもんだ」くらいにしか思わなかった。彼の内心で起きていた、人類史の最も貴重な体験に想像をめぐらすという了見がなにもなかった。何という見識の狭い、無知な自分だったと今にして思う。  

      自由の森学園「第一回自主講座」ゲスト柄谷行人(1995年10月28日)                   講座のラスト「国破れて、末人あり」を超えて 文字起こし>こちら

                  by 大脇理智 

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