2026年7月19日日曜日

【第26話】もしこの世に数学が存在しなかったら日本版の会をやろうにも続けようにもかわなかった(3)(27.7.19)

以下は、7月12日の対話集会(「311後の日本社会と心中するのはバカバカしい」、311後のゴミ屋敷に化した日本社会を再建するための報告と対話集会)のあと、会場で日本版の会の正会員を申し込まれた元数学の教員のKさん宛てに書いた「対話」、ラストのその3。

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             遠山啓(太郎次郎社エディタスより) 

今まで、zoom会議のため、中座しました。さきほど、一通りのことは書いた積りでしたが、再読して、あと1つ大切なことが抜け落ちていました。
それは、
311後の日本社会に出現した原発事故の救済に関する法律の体系がスッポリ抜けている(専門用語で法の欠缺状態にある)ことを確信をもって認識するためには、権力や権威や既成事実の前にすっかり拝跪し、追随するのではなく、あくまでもみずから自分の頭で考え判断する力を備える必要があります。そして、
権力や権威や既成事実ではなく、自分の頭で考え判断する力を身につける上で最も有益な方法が数学を学ぶことです。なぜなら、数学が分るためには、権力や権威に頼ってもついに分らず、最後は自分の頭で考え理解するほかないものだからです。
それを言ったのが遠山啓です。彼はこう言いました。

直角三角形に関するピタゴラスの定理は経験的には既に古代エジプトで知られていた。しかし、ピタゴラスが偉いのはそれを証明してみせたことである。証明するまでは、たとえどんなに偉い王さまであろうともそれを主張することは許されない。他方、たとえどんな馬の骨でも証明さえできれば認められる。これが数学そして科学の精神である。

なんと! これならどんな貧乏人(のオレ)でも金持ちや政治家たちにも負けないで互角に戦える道があったのだ、それが「証明」という数学的精神。

この意味で、日本版の単純明快な主張が分らない人というのは、数学的精神と無縁の人、権力や権威や既成事実(それは何も日本政府や原子力ムラに限らない、社会運動、市民運動の保守本流の権力・権威も含む)に頼る癖がついてしまい、自分の頭で考え判断する力をすっかり喪失した、思考停止した人です。

もう1つ。
311後の日本社会に出現した原発事故の救済に関する法律の体系がスッポリ抜け落ちた(専門用語で「法の欠缺」状態にある)ということがいかに異常で、その結果、日本社会が人権侵害のゴミ屋敷に放置(ネグレクト)されたにひとしいものですが、そのことを確信をもって認識するためには、当たり前と思っていることにビックリする資質、言ってみれば「裸の王様を嗤う少年」の心を持つ必要があります。
しかし、当たり前と思っていることにビックリする「裸の王様を嗤う少年」の心を持つのは実はなかなか「言うは易き、行い難し」です。この当たり前と思っていることにビックリする資質は身につける必要があるからです。それを身につける上で最も有益な方法が数学を学ぶことです。なぜなら、数学を身につける目的の1つが当たり前と思っていることにビックリする力を身につけることだからです。

先ほどの投稿に書きましたが、小3のときに、教室でトンチをやっていて、或る女の子が出したトンチ
「1+1は?」
に生徒たちがあれこれ答えた末に、彼女がこう言ったのです。
「みんなちがいます。答えは1です。ここに粘土の固まりが1個あります。こっちにも、粘土の固まりが1個あります。両方の固まりを合わせれば、答えは1個の粘土になります。だから1+1=1です」

!!(なんと)
その驚きに襲われて以来、私は自分は正しい数学をやっているという確信が持てなくなりました。自分がやっているのは、1+1=2と書けば単にテストで◯をもらえるだけのことではないかという深い疑念に襲わました。
私はこの時、自分が数字の1って何のこと?という素材論(数学という織物になぞられて、その織物を構成している素材って 何なんのかを考えること)の入り口に立っていたのです。
数学でつまづく人(逆に言うと、驚ける人)は、たいてい、数学の素材のところでつまづく(逆に言うと、驚ける)のです。
なぜゼロという数字があるのか(ギリシャの数字でも中国の数字にもゼロはないのに)。
なぜ分数という数があるのか(小数だけでいいのに)。
なぜ、虚数という数があるのか(どうやったら二乗してマイナスの数になるの)。
なぜ素数なんてものがあるのか、
こうした数学の素材の意味が分らないから、その素材を組み合わせて作った織物、洋服を見せられても、何のことか、最後までピンと来ない。逆に言えば、こうした数学の素材の意味が分り、その素材の素晴らしさに驚けたら、その素材を組み合わせて作った織物、洋服の素晴らしさにも間違いなく、驚くことができる。
こういう当たり前のことに驚く力を身につけていたなら、311後の日本社会が人権侵害のゴミ屋敷に化していることに、驚かずにおれないはずです。そのゴミ屋敷に平然としていられるのは、そもそも当たり前のことに驚く「裸の王様を嗤う少年」の心を失っているからではないかと思います。

そして、遠山啓の「新数学勉強法」(ブルーバックス)の微分積分を読んだ時、彼がこう言っていたのに全幅の共感を抱きました。
微分・積分ほど世に意味不明な学問はないと言われ、そこで微分・積分=「分かった積(つも)りになる。微(かす)かに分かる」と悪口を叩かれている。しかし、数学の精神とはまさにその反対をめざすもの、明確に分ることである。

この数学の精神は日本版の精神と一致する。日本版の精神も、311後の日本社会が原発事故の救済に関する法律が穴(欠缺)になっているのを人権の見地から穴埋めする、ただそれだけの単純明快な明確なものだから。

この遠山啓から次のことを教わったーー数学とは、単に『人間の精神活動の根本をなす思考をもっと明晰にするために、もっと意識化するために、もっと掘り下げるために』やるだけではなく、『自分自身がもっと素直になるために、もっと自由になるために、そしてもっと大胆不敵になるために』やるのだと(ついでに森毅曰く『もっと横着になるためにも、やるんや』も教わった)。
同様に、この遠山啓がいう数学の精神と同様、日本版もまた「無用な被ばくをしたくない!」と思っている
私たち自身がもっと素直になるために、もっと自由になるために、そしてもっと大胆不敵になるために』やるのだと思った(ついでに『もっと横着になるためにも、やるんや』)。

以上、くり返しですが、私にとって数学を学ぶとは次のことを意味します。そして、それは日本版を理解することと殆んど同じことです。
1、権力や権威や既成事実ではなく、自分の頭で考え判断する力を身につけること。
2、当たり前と思っていることにビックリする力を身につけること。
3、分かった積(つも)りになる。微(かす)かに分かるのではなく、明確に分ることをめざすもの。

Kさんの参加のおかげで、勝手な「対話」をさせてもらう気持ちになって、これまであちこちに書き散らしていた数学のメモを振り返り、まとめさせて貰いました。そんな貴重な「対話」の機会を与えて頂き、心から感謝です。

【第25話】もしこの世に数学が存在しなかったら日本版の会をやろうにも続けようにもかわなかった(2)(27.7.19)

 以下は、7月12日の対話集会(「311後の日本社会と心中するのはバカバカしい」、311後のゴミ屋敷に化した日本社会を再建するための報告と対話集会)のあと、会場で日本版の会の正会員を申し込まれた元数学の教員のKさん宛てに書いた「対話」、その2。

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               15歳頃のガロアの肖像画
(1)の続き、311福島原発事故を「ゲーデルの不完全性定理」的な視点から振り返る、です。
311まで日本政府は、日本の原発はチェルノブイリのようなちゃちな原発ではないから、「日本で原発事故は起きることは絶対ない」と太鼓判を押していました。しかし、現実には起きました。
そこで、日本政府は日本に起きた福島原発事故をどのように受け止めたか。その答えは「あれ(福島原発事故)はチェルノブイリ事故のような事故ではない。誰も死んでいないし、誰も健康被害を起こしていない。だから、ちょっとした事故として、ジタバタ騒ぐことはない」という、我々市民のカタストロフィに対する本能的恐怖を最大限活用して、彼らなりの解を提示しました。 そうだとしたら、本当に騒ぐようなことは何一つ必要なかった。
だが、その一方で、ちょっとした事故だったら到底あり得ない、超法規的な、つまり法的にはクーデタと評するほかないような独裁国家としての面目躍如の蛮行に出ました。その最初の一歩が、日本の法律に基かず、海外の民間団体の文書(国際放射線防護委員会(ICRP)の2007年勧告)に基いて出された文科省20mSV通知。
次に、それをキッカケに、次々と出された「安全基準値の引き上げ」です。もともと「安全基準値の引き上げに関する大原則とは「危機管理の基本とは、危機になったときに安全基準を変えてはいけないということです。安全基準を変えていいのは、安全性に関する重大な知見があったときだけ」である(2011年11月25日「第4回低線量被ばくのリスク管理に関するワーキンググループ」での児玉龍彦氏の発言〔21分~〕)
つまり、
基本原則1: 危機になったときに安全基準を変えてはいけない。
基本原則2:安全基準値の変更が許されるのは、「安全性に関する重大な知見があったときだけ」「安全についての新しい知見が生まれた」(児玉龍彦VS金子勝「放射能から子どもの未来を守る」157頁)ときだけ。
これは人々の命と健康を守るための人権上の大原則を意味します。しかし、国は別に「安全性に関する重大な知見があった」訳ではないのに様々な安全基準値を引き上げました。
もし真実、誰も健康被害を起こしていないほどの、ちょっとした事故だというのなら、なぜ、戦後、民主主義国家・法治国家の一員として歩んできた日本政府は、311でいきなりこのような法的なクーデタに出たのか。それは、福島原発事故が発生した時、日本政府は決定不能な状態に陥ったからですーー事故をリアルにそのまま認めるのか、それともたいしたことのない小さな事故に矮小化するのかという。権力内部の水面下での逡巡の末、日本政府は後者の道(原発事故の矮小化)を選択しました。しかし、これですんなり決定不能の難問が解決した訳ではなかった。その解を選択した結果、今度はまた新たな決定不能の問題に直面したからです。それがどうやって、矮小化した原発事故の後始末(我々市民にとっては命、健康、暮らしの救済)を法律的な整合性をとって進めるか、でした。これも超難問でした。なぜなら、311まで日本には福島原発事故級の放射能災害を予定しておらず、これに対する法の備えが皆無=法の全面的な欠缺状態だったからで、原発事故の後始末するための道具=法的手段が制定されていなかったからです。
そこで、権力内部の水面下での逡巡の末、日本政府は法がないんなら、無法でやるしかないと、行政の独裁権力を行使するだけだと決断を下した、それが日本の法律に基かないで、外国の民間団体の勧告に基いくという体裁を取り繕った文科省20mSV通知です。なぜならもともと権力者とは、例外状態において決断をする者だからです(カール・シュミット「政治的神学」)こうして、日本政府は緊急事態の道(法的なクーデタ)の道を選択したのです。
なぜそのような独裁権力と非難されても弁解不可能な無理難題、支離滅裂な決定を下したのか。その根本的な理由はそもそも福島原発事故が従来の事故の枠組みではとうてい捉えられない、未曾有の事故だからです。それを「ちょっとした事故」で片づけようとするので、その解が完全に破綻するほかなかったからです。その異常事態の状態が311以後、ずっと続き、それが311後の日本社会のバックボーンを形成している。
以上のような意味で、日本政府自身がずっと決定不能な状態に陥っている。311後の日本社会を見ていて、そう感じました。

そこで、311後の、日本政府が決定不能に陥った問題を解決するにはどうしたらいいのか。その当時、再稼動反対、原発廃炉の声が沸き起こり、世論になりましたが、それはそれで大切なことでしたが、だが、これが日本政府が決定不能に陥った福島原発事故の救済の問題の解にならないことは明らかでした。

そこで、緊急を要する「福島原発事故の救済の問題」の解を求めて、井戸謙一さんたちと、福島の子どもたちの集団疎開を求めて「ふくしま集団疎開裁判」を提訴したわけですが、この裁判の時に、私ら弁護団自身が20mSV通知を出した文科省と同様の決定不能のジレンマに直面しました。なぜなら、我が国は311まで原発事故が起きるとは思っていないから、原発事故を想定した救済の法律が存在しなかった、つまり福島県の子どもたちの集団避難を根拠付ける法律が見つからなかったからです。チェルノブイリ法はありましたが、これは他国の法律であって、そもそも条約でもないから、根拠法として使うことができませんでした。もしこのときチェルノブイリ法日本版が制定されていれば、我々は裁判を起こすこともなく、福島の子どもたちの集団疎開を要求できたのです(今の311子ども甲状腺がん裁判と同様ですが)。そのことを痛恨の思いで感じたときのことを覚えています。

そして、もし、この時「ふくしま集団疎開裁判」が勝訴していれば、福島県の子どもたちの集団疎開は実現し、その勢いに乗って、チェルノブイリ法日本版の制定運動が盛り上がり、その実現も十分可能性がありました。だから、日本政府は「ふくしま集団疎開裁判」が天下分け目の決戦だと踏んでいた。矢ヶ崎さん、岡田さん、後藤さんたち日本内外からたくさんの人が応援してくれましたが、勝利まであと一歩のところで、2013年4月、この裁判は敗退しました。その敗退の中で、もうひとつの解として浮上したのがチェルノブイリ法日本版です。だから、もし「ふくしま集団疎開裁判」が勝訴していれば、チェルノブイリ法日本版という解は取り上げなかった。一歩前進、二歩後退みたいな形で裁判が敗退したために、そこで、新たな解を求めて、行動を起こすしかなかった。それが「チェルノブイリ法日本版」です。

しかし、本当に、「チェルノブイリ法日本版」が実現可能なのか、「ふくしま集団疎開裁判」の敗退当時、正直のところ、まったく自信がありませんでした。もちろん私の周りの人に、「チェルノブイリ法日本版」の話をしても何を寝言みたいなことを言っているのかと思われるのが落ちでした。なので、自信をなくした私は、いったん、日本から逃げ出して、カナダ・モントリオールの開催された世界最大の市民運動「世界社会フォーラム」に参加して、そこで福島の現実を訴えました。そしたら、「世界の常識は日本の非常識」で、そこに参加した世界市民から、「チェルノブイリ法日本版」は圧倒的な支持を受けました。その支持に背中を押され、帰国して、そこで、当時、保養の活動で行き詰まりを感じていた三重のお母さんから相談を受けて、じゃあ、「チェルノブイリ法日本版」を今まで誰もやったことのない解決方法で挑戦しましょう、と一歩前に踏み出すことにしたのです。その解というのが「市民立法」でチェルノブイリ法日本版を実現するという日本で情報公開法の成功したやり方でした(以下が、その時、お母さんが日本版制定を呼びかけた文章)。
 
チェルノブイリ法日本版の条例制定を一緒にやりませんか(2017.5)

この「市民立法」というアイデアが私を「チェルノブイリ法日本版」制定に一歩踏み出す原動力になったのですが、そのようなアイデアを与えてくれた原点は実は数学でした。具体的にはガロアの群論でした。ガロアの群論は理解するのが難しくて、未だに判然と理解できていないのですが(最近も「ガロア偉大なる曖昧さの理論」に接し、驚いた)、当時、私は、ガロアの群論に対する挑戦について数学者の次の解説を読み、全面的に共感しました。それなら、日本版も同様に挑戦してみる価値があると、背中を押されたのです。

数学においてはよく起こることだが、問題が極めて困難なとき、人類はそれまでとはちがった新たな方法が要求されていることを理解し、それを見出してきた。その結果、この新たな方法はその問題の解決が必要としたものよりもはるかに実り多い、適用範囲の広いものとなった。アーベル、ガロアの貢献は5次方程式を解くという個別の問題を完全に解いたばかりではなく、方程式の解法を超えた数学全体に新たな基本的な概念すなわち群の概念を与えたことにある(デーデキント「数について」(岩波文庫)の訳者河野伊三郎解説)。

日本版の制定に向けての取り組みが困難なのは、いくつもの理由が挙げられます。しかし、基本的にそれは原発事故という日本史上初めてのカタストロフィーに対する解決策がなかったということ、そこで、日本の市民運動が従来から抱えている根本的な課題が否応なしに浮上し、それらと直面せざるを得ないということ(例えば、菅谷昭さんがつとに指摘される日本市民の特性「難治性悪性反復性健忘症」など)に由来します。だから、困難なのは当然です。
しかし、小出裕章さんが言われるように、ひとたび原発事故が起きた以上、「時計はもとには戻せない。私たちは汚染された世界に生きるしかない」。そうだとしたら、その現実と向き合う中で、いかに、311後の未曾有の世界を、311までの「既成概念のメガネ」ではなく、311まで見たことのない「新たなメガネ」をかけて、再発見、再構成し、それでもって市民立法に再挑戦するしかありません。それが、私が学習会のパワポ資料の表題に掲げた
「すべての認識と希望の扉を叩く」
http://1am.sakura.ne.jp/Chernobyl/181222presen.pdf

ことでした。その時、このすべての認識と希望の扉を叩く原動力のなる「新たなメガネ」、それが私にとっては数学のアイデアでした。
そして、チェルノブイリ法日本版の制定が困難であればあるほど、そのために取り組む私たちの挑戦は、否応なしに、日本社会が抱える様々な困難な課題、困難を、根本から変革していく大きな原動力になることを、上に述べたガロアの群論の意義から確信したのです。 

今月12日の対話集会の第2部に参加した若者が、感想として「自分は外国人排斥のヘイトスピーチに反対するアクションに参加しているのだけれど、今日聞いた「生成法」の話、私たち市民一人ひとりの行動が法律を生成する原動力なのだというお話は自分が取り組んでいるアクションに新しい光を当ててくれるもので、とても元気が出た」旨を言いました。
これを聞いて、人々は日本版の取り組みに参加することで、自分たち自身の取り組みの意味にも新たな光が当てられ、新たな意味を再発見できるのだと確信し、この意味で、日本版の取り組みが日本社会を根底から変えていく力になれるのではないかという希望を抱きました。だから、「すべての認識と希望の扉を叩く」 必要があり、そのために数学を学ぶことが大切なのだと思いました。 


【第24話】もしこの世に数学が存在しなかったら日本版の会をやろうにも続けようにもかわなかった(1)(27.7.19)

 以下は、7月12日の対話集会(「311後の日本社会と心中するのはバカバカしい」、311後のゴミ屋敷に化した日本社会を再建するための報告と対話集会)のあと、会場で日本版の会の正会員を申し込まれた元数学の教員のKさん宛てに書いた「対話」、その1。
これまで日本版の会には数学関係者の人は皆無だった。初めてそのような人が参加したので、思わず、これまで胸のうちにあった思いを吐き出したもの。

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 私にとって、数学の関係者の方がこの会に参加して頂き、今まで誰にも言えなかったことが言える気分で、本当に嬉しく思います。
それは、私にとってチェルノブイリ法日本版の会の立ち上げ、存続の本質に関わることでもあり、以下、殆んどの皆さんにとっては私のつぶやきですが、Kさんにはメッセージとして殴り書きを記しました。

昨年3月11日に、敬愛する脚本家橋本忍の郷里近くの兵庫県市川町で学習会(>その報告)をやった時、次の題で話をしました。
父よ母よーー人権のない世界の住民と人権の世界の住民を分け隔てるものーー( 分断をつなぐ橋――人権そして「生活再建権」の再発見 )」 

このパワポ資料は「人権はそこらにころがっているものではなく、我々自身が発見するほかないものである」ことを述べた、私にとってとりわけ大切なものでして、その最後の68頁以下で、次のことを書きました。

―今、市民運動に必要なもの―それは「考え、考え、考え抜くこと。」
こう言ったのは、卓球の名コーチ、マリオ・アミズィッチです。

彼はNHK「奇跡のレッスン」で、子どもたちに、練習するときの心構えとして第1に「考えること」を挙げ、練習が終わった時、「ああ、今日は身体を動かしてクタクタだ」ではなく、「ああ、今日は頭を使って考え抜いて頭がクタクタだ」でなくてはいけないとアドバイス。
いまや、純粋の運動ですら考えることの重要性が自覚されている。
いわんや、より複雑な市民運動においてをや。

          NHK「奇跡のレッスン」マリオ・アミズィッチ

私にとって、その市民運動で「ああ、今日も頭を使って考え抜いて頭がクタクタだ」のモデルが数学的な思考を使って考えることでした。なぜなら、数学は私にとって世界を認識する上での根本的なメガネ、そのメガネをかける前とあとでは、二度と同じ生き方ができなくなるほど、頭の中がグチャグチャになるほどの決定的な意味を持ったからです(>小3のそのささやかな体験
 
それから四半世紀経って、ようやくその小3の時の謎が解けました。それが、無限の世界は1+1=1が成立することを教えてくれた遠山啓の「無限と連続」でした(>プレゼン資料5頁以下)。この 無限を眺めるメガネを手にしたことにより、35歳のとき、数学基礎論で「ゲーデルの不完全性定理」()という超ケッタイナなものが本当にこの世に存在することを知り、その瞬間、我々の文明社会(脳化社会)の宿命的な限界を思い知らされてブルブル驚愕しました。

)皆さんへ:この定理はチェコ生れの24歳の数学者クルト・ゲーデルが1930年に数学的に証明した定理で、これによって「いかなる体系もその体系の中では決定不可能な命題が存在する」ことが論理的に証明されました。つまり、体系なるものは現実を離れてそれ自身で自立することが不可能であることが証明された訳です。この定理に対し、オッペンハイマーは「人間の理性一般における限界というものの役割を明らかに示した」と評しました。今、AIがこの問題で喧々諤々の騒ぎの中にいるのだと理解しています。

「ゲーデルの不完全性定理」は数学的な証明にとどまらず、数学以外の様々な分野で、そのビジョンが大きな影響を及ぼしました。第一次世界大戦で、ロシアは社会体制の矛盾が噴出し、このまま戦争継続かそれとも終結かという問題をめぐって決定不可能になりました。その時、レーニンが提示したのは戦争継続でも、また単なる終結でもない、もうひとつの新たな解でした、それが「すべての権力をソヴィエトへ(その上で即時無条件戦争終結)」。つまり従来の解では決定不能な問題を新たな解の中で解き直そうという提示であり、これがロシア市民に受け入れられました。これは「ゲーデルの不完全性定理」的な根本問題に対する当時、最も考え抜かれたひとつの解の提示でした(とはいえ、その社会組織論には重大な欠陥があり、それが後に露呈します)。だから、当時、「3日以上持たない」(ジョン・リード「世界をゆるがした十日間」(岩波文庫)上123頁)と言われた超劣悪な条件下での未熟児のソビエト政権が3日を遥かに超えて70年間、存命し得たのです(とはいえ、70年も存在してよかったとは全然思えませんが)。

これと似た事態が発生したのが311福島原発事故です。

長くなったので、後半は別便(>こちら)で書きます。

2026年7月15日水曜日

【第23話】Stupidな人たちの呼びかけに応えてチェルノブイリ法日本版の会への参加を決断された菅谷昭さん(2026.5.11)

これは昨年(2025年)暮れ、私たちの呼びかけに応えてチェルノブイリ法日本版の会への参加を決断された菅谷昭さんの紹介です。

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菅谷昭さんは、松本市長時代、311直後から、福島県の子どもたちの被ばく影響を憂慮し、国策として集団疎開の必要性を正面から訴えた日本の自治体の唯一の首長です。その貴重な声に耳を傾けない国に抗するため、松本市に福島県の子どもたちを国内留学させる「まつもと子ども留学」を提案し、このプロジェクトは成功しました。
しかし、この成功体験を日本中に広げる取組みは後続が実現せず、失敗に終わりました。同時に、彼は日本人の最悪の病気が「難治性悪性反復性健忘症」にあることを見抜き、311直後は騒いでも、やがてこの病気が蔓延し、原発事故の救済は人々の忘却のかなたに打ち捨てられる運命が待ち受けている困難も予知していました。
奮闘努力された彼は、2024年公職を退いた時点で、余生をゆっくり送る積りでした。ところが、チェルノブイリ法日本版の取組みを知り、自分が311以来ずっと訴えてきたことを今も変わらず訴えているStupidな人たちがいることを知り、この取り組みは全国行脚してでも日本中の市民に届ける必要があると再認識され、新老年として力の許す限り余生を日本版の実現に捧げようと入会を決断されました。
同時に、彼は「自分は人寄席パンダではない、日本版の輪を広げるのはひとりひとりの会員の主体性にかかっている」を唱え、もうひとつの日本人の最悪の病気「難治性悪性反復性依存症」の克服を訴えています。
菅谷さんの決意を活かすも殺すも私たち次第であると、彼の入会の重みをひしひし感じています。

(2026年5月11日 柳原敏夫)

 

   2013年6月 子ども留学立ち上げメンバーとの2回目の打ち合わせ

2014年4月、入寮生激励に寮訪問した時、子どもたちと記念撮影

2026年7月6日月曜日

【第22話】人権についてのつぶやき(6):人権の未来は人権の起源にある? ーー人権のもう1つの起源はイソノミア(無支配)ーー(26.7.7)

他の「人権についてのつぶやき」は>こちら

             沢田研二「イソノミア」(2017年)
結論
「古い真理を⼈の⼼に残そうとするなら新しい⾔葉で何度も⾔い直さなくてはならない」(ハイエク)。2500年前の人類史の最良の真理のひとつ「イソノミア(無支配)」、この真理を意識的、自覚的に再発見し、継承する中にこそ、絶望の中から希望を掴み取るチャンスがある。それが人を支配せず、人々を分断しない「人権」を再発見することである。

それはまた、柄谷行人が哲学の起源(2012年11月)で、「社会の構造を、唯物論のような生産様式で捉えるのではなく、交換様式で捉えた」時、最後の4番目に見出せる「自由と平等を担保した未来社会の原理」としての交換様式X(以下の図参照)が、世界史の中で普遍宗教だけではなく、古代イオニア地方で「イソノミア(無支配)」の政治社会体制としても存在したと指摘した、その「意味」をさらに「人権」から再発見することである。

 
 
前置き

なぜ過去の歴史を学ぶのか。それについて柄谷行人はこう述べた。

小説の未来は小説の過去にある、と後藤明生が書いている。小説が何処へ行くかを問うには、それがどこから来たかを問うべきである。‥‥これはほかの領域にもあてはまる。われわれがどこへ行くのかを問うには、どこから来たかを問うべきである。資本主義の未来は、資本主義の起源にある。(批評空間93NO.9編集後記)
これを原発事故の歴史に当てはめるとこうなる。
311(福島原発事故)でわれわれがどこへ行くのかを問うには、それがどこから来たかを問うべきである。311(福島原発事故)の未来は原発事故の起源(過去)にある(「6.24」提訴から一周年の思い――なぜ、ふくしまで集団疎開が実現しないのか。疎開裁判から市民立法へ(2012.7.19一部追加))。
これを人権について当てはめるとこうなる。

   人権についてわれわれがどこへ行くのかを問うには、それがどこから来たかを問うべき  である。人権の未来は人権の起源にある。

本題
昨日、7月12日の対話集会の登壇者小川晃弘さんと打ち合わせをしていて、彼が作成したパワポ資料を眺めているうちに、不思議な気分になった。
それは彼が
力説する「政治・政策」と「人権」の本質的なちがい(人を支配するかしないか。人々を分断するかしないか)が、私にあることを気づかせてくれたからである。
それは「
政治・政策」とは、人の人に対する支配を前提として、そして支配に帰結するもの(だから、否応なしに分断が生じる)として構想されているのに対し、「人権」は人の人に対する支配を根底から否定することを前提にして、そこに帰結するように運用されるもの(だから、構造的に分断が生じない)として構想されているということ。だとしたら、それは「デモクラシー(多数者支配)」と「イソノミア」と言い換えることができるのではないか。つまり「政治・政策」と「人権」は「民主主義」と「無支配」と言い換えられる。

311の原発事故で、民主主義の著しい機能不全を体験した時、この矛盾は代表民主主義の危機であり、この危機は直接民主主義によって克服するしかない、それ以外にはないと思って行動してきた。
しかし、そのような民主主義に対する認識(
代表民主主義はダメでも直接民主主義なら何とかなるのではないか)では甘いことを、のちに知った。それが柄谷行人の「哲学の起源」だった。
その中で、民主主義が「デモクラシー」の英訳から明らかな通り、デモ(
多数者)によるクラシー(支配)=多数者支配のことであり、王制や貴族制の「少数者」による支配を否定するものであっても、支配である点はそれまでの王制と変わらないことを教わった。つまり、直接民主主義であっても、しょせんは多数者「支配」の枠組みの中のものでしかなく、人々と賛成と反対に仕訳し、多数決で少数者の政策を排除し、分断をもたらす「政治・政策」のロジックが貫徹される点では、既に機能不全に陥っている代表民主主義と変わらない。

ブックレット「わたしたちは見ている」で、人々を賛成と反対に仕訳し、多数決で少数者の政策を排除し、分断をもたらす「政治・政策」のロジックを乗り越えるために見出されたのが「人権」のロジックだった。なぜなら、人権は全ての市民が享有するものであるから、人権に関して全ての人はひとしく尊重され、多数決で少数者の政策を排除せず、分断をもたらさないロジックだからである。

だとしたら、人権とはイソノミア(無支配)の別名なのではないか。柄谷行人は哲学の起源」の中で、紀元前6世紀、古代アテネの民主主義が栄える以前に、人が人を支配しないイソノミア(無支配)が古代イオニア地方に実在したが、その後滅亡し、その記憶がイオニアの自然哲学(タレスやヘラクレイトスなど)やソクラテスの中に刻まれていると書いたが、この記憶を最もリアルに、なおかつ生き生きと保持しているのが人権のロジックなのではないか。

言い換えれば、ブックレット「わたしたちは見ている」は、「政治・政策から人権にシフト」することを通じて、311後の人権侵害のゴミ屋敷に化した日本社会を再建する道筋を見出そうとした。それは人の「支配」を本質とする政治・政策から、人の「無支配」(イソノミア)を本質とする人権にシフトすることで、日本社会の再建をめざす試みなのではないか。

 ブックレット「わたしたちは見ている」を出版した2年前、「政治・政策から人権にシフト」というアイデアが奇想天外、唐人の寝言のようにバカにされるかもしれないと思ったが、2年の年月を経て、このアイデアは柄谷行人の「哲学の起源」とリンクすることで、イソノミア(無支配)に起源を持つ、すこぶる示唆的、刺激的なものに根ざしていたものだと分った。

そして、私たちの取り組みは人権を、単なる観念的な操作、議論にとどめるのではなく、現実の社会の人間関係のあり方を組み替えていく際の羅針盤として考えるものである。
例えば、私たちの働き方について、経営者の指揮命令に従属するという支配を本質とする賃労働から、無支配(イソノミア)を本質とする協同労働=協同経営の協同組合へのシフトも、
311後の人権侵害のゴミ屋敷に化した日本社会を再建する道筋の重要な柱として考えている。

                2012年11 月出版


2026年7月5日日曜日

【第21話】人権についてのつぶやき(5):人権と向き合うとはどういうことか? ーー7.12対話集会に向けてーー(26.7.6)

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311直後、文科省の20mSV通知に対する異議申し立てとして、ふくしま集団疎開裁判を提訴した(上の映像)。その当時、今から想像するに、思っていた以上にこの裁判を支援する人たちが国内外にたくさんいた。
それに比べたら、今は何という少数に激減してしまったのだろうか。
とはいえ、311直後に、ふくしま集団疎開裁判に心を寄せてくれた人たちの誠意に嘘偽りはなく、本当に、子どもたちの避難の必要性を実感していた。
だとしたら、この人たち(当時、共感を表明し、現在は沈黙の中にいる人たち)に何を伝えたら、再び、共感を取り戻すことができるだろうか?
それがずっと、私の中で中心的な課題のひとつだった。

以下は、それに対する回答ではないが、手がかりを書いたもの。
311直後、ふくしま集団疎開裁判に心を寄せてくれた人たちの応援の輪は半端でなく、私たちもまた、出来る範囲で、世界内外からその声を拡散しようとした(例えば>イタリアの市民の声)。

 
 
その声は司法にも届き、それは2013年4月の仙台高裁の判決(決定)に反映し、頂上(勝訴)まであと一歩のところまで辿り着く(以下の報告)。
 


とはいえ、私たちの主張が認められなかったことは紛れもない事実であり、裁判は敗北を余儀なくされた。
しかし、本当の試練はそのあとに訪れた。
「裁判敗北という既成事実」を前にして、これに屈服するのか、これに抗うのか、そこが問われたから。
私たちはむろん抗う道を選択した。その最初の一歩が、
【判決直後アクション】『子どもたちを被曝から守ろう!5.18新宿デモ』 

このデモで大奮闘したひとりが山本太郎さん(以下の写真をクリックすると動画が再生)。

私もメッセージを書き、デモに参加した。
次はデモ、そして第二次疎開裁判、同時に避難プロジェクト。私たちはどんなむごい境遇でも決して自分の心を失わない「大地の子」

しかし、そのあと、じわじわ、じわじわと沈黙に転じる人たちが増えていった。
それ自体はいか仕方ないことかもしれない。それ自体をどうこう非難はできない。

ただし、今にしてひとつ、新たに分ったことがある。
それは、人権と向き合うとは、例えばふくしま集団疎開裁判の敗北という既成事実を突きつけられた時、その既成事実に屈服するのではなく、その既成事実に抗うこと、その時、それが人は人権と向き合うという「意味」だということ。
その意味で、人権と向き合うというのは生易しいことではない。もしそのようなものが人権だったら、人権という言葉は国の人権に関する教材で「人に優しくすること」と書かれているような美しい絵空事でも、気楽に使える言葉でもないことに気がつくだろう。そのように認識して、私たちは人権と向き合うべきだし、人権を考えることが肝心だと思う。
そして、そのように人権を理解して、そのあと、たとえ、これと向き合おうと決断し、その覚悟が出来ないとしても、なんとか決断したい、なんとか覚悟を持ちたいと思っている人は、その求め・模索の中で、例えば原発事故の救済を求めて模索する人は、きっと、ひとりのお母さんのチェルノブイリ法日本版の呼びかけに出会うと思う。
311から15年、もう一度、この人権について、来週の7.12対話集会で話したい。



2026年7月1日水曜日

【第20話】人権についてのつぶやき(4):人権の限界はどこにあるのか?(26.7.1)

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その4:人権の限界はどこにあるのか?

「人権の起源」について認識を得ることで、世界が何かこれまでとちがって見えてくるような気分になる。しかし、現実はいつも理念では捉えきれないほど豊僥で、いつも新たな課題を私たちに突きつける。その1つが「人権の限界」。

かつて、憲法の教科書(宮沢俊義)で学んだ「人権の限界」の一般論というものは次の通り、至って単純明快なものだった。
1、人権は全ての権利の中で最上位に位置する、国家に先立つ権利である。
2、従って、人権に対抗できるものは国ではなく、唯一、他の者の人権のみである。
3、つまり、人権は人権同士の対立・衝突を調整する必要がある限りで、制限される。
4、その制限とは、人権相互の対立・衝突を実質的平等の見地から合理的に制限することである。

しかし、これは純粋に形式論理的に首尾一貫しているだけのことで、そこには現実の持つダイナミズムは反映していない。壮絶な宗教戦争の対立・構想の果てからひょっこり顔を出した寛容の精神といったダイナミズムがここにはない。それは単につまらないだけでなく、現実を不完全にしか捉えていないのではないか。
‥‥というコメントを残して次へ。

人権の起源として「寛容」に着目したとき、「人権の限界」は「寛容の限界」と言い直すことができる。しからば、「寛容の限界」とは何か?
例えば、表現の自由を寛容の観点から言い直すと、
「権威の座にある人たちの気に食わない意見を発表する自由」
では、こうした寛容は全面的に保障されるべきか。それを問うたのがヘイトスピーチ。
ヘイトスピーチを擁護する人は言う。
寛容を重視するのであれば、ヘイトスピーチにも寛容で臨むべきだ、と。
しかし、自分たちへの寛容を求めるヘイトスピーチを擁護する人たち自身は、ヘイトスピーチで対象にしている人たちに対して極めて非寛容で臨んでいる。
つまり、自分たちが採っている非寛容に基づく表現に対して、寛容な扱いを求めている。それは以下でチョムスキーが指摘した通り、偽善者的であり、そのようなものが果して正当化され得るのか?

イギリスの哲学者のカール・ポパーは言った、
「もし社会が無制限に寛容であるならば、その社会は最終的には不寛容な人々によって寛容性が奪われるか、寛容性は破壊される」
これをヘイトスピーチに当てはめれば、
「もし社会がヘイトスピーチに無制限に寛容であるならば、その社会は最終的には不寛容な人々によって寛容性が奪われるか、寛容性は破壊される」

ヘイトスピーチ以上に、ここ40年間、最もショックだったことはインターネットの暗黒化。かつて情報を市民が共有するユートピアとして出発したはずのインターネットはこの40年間で、ニセメール、ニセ情報、ヘイト情報、炎上で溢れかえり、市民を攻撃し、だます輩が日々暗躍するブラックワールドに変質してしまった。この惨憺たる現状もまた、情報共有に対する「無制限の寛容」がもたらした成れの果てだということに今ようやく気づいた。40年前、インターネットによる情報共有がスタートした当初から、もっとこの「無制限の寛容」がもたらす途方もない悪弊に目を向けて、その対策を真剣に講じるべきだったと、自分の無知・愚かさを実感している。 

カール・ポパーの「寛容のパラドックス」はヘイトスピーチに限らず、私たち自身の日常の市民生活の中でも、絶えず問われるとても重要な問題。
もし「無制限の人権」が許されないのと同様、「無制限の寛容」も許されないとしたら、「寛容の制限」はどこに見出せるのか。
もし「人権の制限」が「人権相互の対立・衝突を実質的平等の見地から合理的に制限すること」だとしたら、これと同様に、「寛容の制限」もまた、「寛容同士の対立・衝突を実質的平等の見地から合理的に制限すること」といった見地から基礎づけられるのか?
しかもヘイトスピーチのような場合には、寛容と寛容が衝突しているのではなくて、寛容に対して非寛容が衝突している。その場合には、もはや「寛容同士の対立・衝突」とは言えず、本来の「寛容同士の対立・衝突」の調整と比べ、もっとずっと厳しい制限・調整になって当然ではないのか。

その「寛容の制限」の調整原理として、基礎付けのひとつになるかもしれないと思うのが「偽善者」の禁止。
チョムスキーによると、偽善者とは「他の人に当てる物差しを自分にもあてることを拒否する者」と定義される。
その結果、「自分が他の人を攻撃、脅迫、侮辱、中傷誹謗することは寛容の精神 に照らして許されるが、他人が自分に対し同様の行為をすることは許されないと考える」場合には、その人は偽善者ということになる。
チョムスキーはアメリカの外交政策はいつもこの偽善者だったと指摘する。
アメリカが他国におかす犯罪行為(ハメネイ暗殺など)はどんなにひどかろうが、米国にとって存在しない。しかし、同様の他国の犯罪行為(911など)に対しては言語同断、決して容赦しない、と。トランプもこの偽善者の典型。

以上のとおり、人権=寛容は、これまでなかったような強力な力を人々に与えた。それが「万人に保障された」という性格です。この性格により、人々と利益を享有できる人たちとできない人たちに分断するという従来の政治・政策の宿命的な危険性を克服した。とはいえ、現実にはすべての人が無制限に人権を享有できるわけではないため、そこで、すべての人が可能な限り最大限の人権を享受できるように、その「人権の制限」という厄介な難問に否応なしに取り組まざるを得ない。
もしも、この難問を解くのを面倒くさがり、放置するとき、強者の人権が弱者の人権を抑圧する結果となり、仁義なき「弱肉強食」の世界になる。だから、この難問と向き合うほかない。これが最強のカードである人権に課せられた最大の難問。
この難問を首尾よく解くために、私たち市民の総力と智慧を結集して、その解き方に習熟する必要がある。それは一日にしてできることではなく、終わりのないレベルアップのための修練の日々。

くり返しになるが、この難問を正しく解くためには、まず最初に、人権=寛容という基本を認識する必要がある。
しかし、これは意外に難しい。かつての宗教戦争のように、自分たち宗派の教義こそ真理であって正統であり、それ以外の宗派は異端であるとして、改宗か迫害を当然視してきたのでは、人権=寛容は受け入れられる余地がない。ところが、今日でも、こうした偏狭な正統主義に染まった社会運動、市民運動が今なお、根強く存在しているのも事実で(私も東京の、2012年の官邸前アクションで、一部の人たちから、脱原発ではなく、脱被ばくを掲げる福島集団疎開裁判に対して異端扱いされた)、このような正統主義の思想に染まった非寛容な市民運動から脱却することが日本版の運動の「最初の一歩」であり、ブックレット「私たちは見ている」の基本理念である「政治・政策から人権にシフト」はそのことを含んでいる。

  「寛容のパラドックス」について書かれたカール・ポパーの『開かれた社会とその敵』(1945年)

             ウィキペディア(Wikipedia)より

【第26話】もしこの世に数学が存在しなかったら日本版の会をやろうにも続けようにもかわなかった(3)(27.7.19)

以下は、7月12日の 対話集会 (「311後の日本社会と心中するのはバカバカしい」、311後のゴミ屋敷に化した日本社会を再建するための報告と対話集会)のあと、会場で日本版の会の正会員を申し込まれた元数学の教員のKさん宛てに書いた「対話」、ラストのその3。  ***********...