2026年7月1日水曜日

【第20話】人権についてのつぶやき(4):人権の限界はどこにあるのか?(26.7.1)

その4:人権の限界はどこにあるのか?

「人権の起源」について認識を得ることで、世界が何かこれまでとちがって見えてくるような気分になる。しかし、現実はいつも理念では捉えきれないほど豊僥で、いつも新たな課題を私たちに突きつける。その1つが「人権の限界」。

かつて、憲法の教科書(宮沢俊義)で学んだ「人権の限界」の一般論というものは次の通り、至って単純明快なものだった。
1、人権は全ての権利の中で最上位に位置する、国家に先立つ権利である。
2、従って、人権に対抗できるものは国ではなく、唯一、他の者の人権のみである。
3、つまり、人権は人権同士の対立・衝突を調整する必要がある限りで、制限される。
4、その制限とは、人権相互の対立・衝突を実質的平等の見地から合理的に制限することである。

しかし、これは純粋に形式論理的に首尾一貫しているだけのことで、そこには現実の持つダイナミズムは反映していない。壮絶な宗教戦争の対立・構想の果てからひょっこり顔を出した寛容の精神といったダイナミズムがここにはない。それは単につまらないだけでなく、現実を不完全にしか捉えていないのではないか。
‥‥とコメントを残して次へ。

人権の起源として「寛容」に着目したとき、「人権の限界」は「寛容の限界」と言い直すことができる。しからば、「寛容の限界」とは何か?
例えば、表現の自由を寛容の観点から言い直すと、
「権威の座にある人たちの気に食わない意見を発表する自由」
では、こうした寛容は全面的に保障されるべきか。それを問うたのがヘイトスピーチ。
ヘイトスピーチを擁護する人は言う。
寛容を重視するのであれば、ヘイトスピーチにも寛容で臨むべきだ、と。
しかし、自分たちへの寛容を求めるヘイトスピーチを擁護する人たち自身は、ヘイトスピーチで対象にしている人たちに対して極めて非寛容で臨んでいる。
つまり、自分たちが採っている非寛容に基づく表現に対して、寛容な扱いを求めている。それは以下でチョムスキーが指摘した通り、偽善者的であり、そのようなものが果して正当化され得るのか?

イギリスの哲学者のカール・ポパーは言った、
「もし社会が無制限に寛容であるならば、その社会は最終的には不寛容な人々によって寛容性が奪われるか、寛容性は破壊される」
これをヘイトスピーチに当てはめれば、
「もし社会がヘイトスピーチに無制限に寛容であるならば、その社会は最終的には不寛容な人々によって寛容性が奪われるか、寛容性は破壊される」

ヘイトスピーチ以上に、ここ40年間、最もショックだったことはインターネットの暗黒化。かつて情報を市民が共有するユートピアとして出発したはずのインターネットはこの40年間で、ニセメール、ニセ情報、ヘイト情報、炎上で溢れかえり、市民を攻撃し、だます輩が日々暗躍するブラックワールドに変質してしまった。この惨憺たる現状もまた、情報共有に対する「無制限の寛容」がもたらした成れの果てだということに今ようやく気づいた。40年前、インターネットによる情報共有がスタートした当初から、もっとこの「無制限の寛容」がもたらす途方もない悪弊に目を向けて、その対策を真剣に講じるべきだったと、自分の無知・愚かさを実感している。 

カール・ポパーの「寛容のパラドックス」はヘイトスピーチに限らず、私たち自身の日常の市民生活の中でも、絶えず問われるとても重要な問題。
もし「無制限の人権」が許されないのと同様、「無制限の寛容」も許されないとしたら、「寛容の制限」はどこに見出せるのか。
もし「人権の制限」が「人権相互の対立・衝突を実質的平等の見地から合理的に制限すること」だとしたら、これと同様に、「寛容の制限」もまた、「寛容同士の対立・衝突を実質的平等の見地から合理的に制限すること」といった見地から基礎づけられるのか?
しかもヘイトスピーチのような場合には、寛容と寛容が衝突しているのではなくて、寛容に対して非寛容が衝突している。その場合には、もはや「寛容同士の対立・衝突」とは言えず、本来の「寛容同士の対立・衝突」の調整と比べ、もっとずっと厳しい制限・調整になって当然ではないのか。

その「寛容の制限」の調整原理として、基礎付けのひとつになるかもしれないと思うのが「偽善者」の禁止。
チョムスキーによると、偽善者とは「他の人に当てる物差しを自分にもあてることを拒否する者」と定義される。
その結果、「自分が他の人を攻撃、脅迫、侮辱、中傷誹謗することは寛容の精神 に照らして許されるが、他人が自分に対し同様の行為をすることは許されないと考える」場合には、その人は偽善者ということになる。
チョムスキーはアメリカの外交政策はいつもこの偽善者だったと指摘する。
アメリカが他国におかす犯罪行為(ハメネイ暗殺など)はどんなにひどかろうが、米国にとって存在しない。しかし、同様の他国の犯罪行為(911など)に対しては言語同断、決して容赦しない、と。トランプもこの偽善者の典型。

以上のとおり、人権=寛容は、これまでなかったような強力な力を人々に与えた。それが「万人に保障された」という性格です。この性格により、人々と利益を享有できる人たちとできない人たちに分断するという従来の政治・政策の宿命的な危険性を克服した。とはいえ、現実にはすべての人が無制限に人権を享有できるわけではないため、そこで、すべての人が可能な限り最大限の人権を享受できるように、その「人権の制限」という厄介な難問に否応なしに取り組まざるを得ない。
もしも、この難問を解くのを面倒くさがり、放置するとき、強者の人権が弱者の人権を抑圧する結果となり、仁義なき「弱肉強食」の世界になる。だから、この難問と向き合うほかない。これが最強のカードである人権に課せられた最大の難問。
この難問を首尾よく解くために、私たち市民の総力と智慧を結集して、その解き方に習熟する必要がある。それは一日にしてできることではなく、終わりのないレベルアップのための修練の日々。

くり返しになるが、この難問を正しく解くためには、まず最初に、人権=寛容という基本を認識する必要がある。
しかし、これは意外に難しい。かつての宗教戦争のように、自分たち宗派の教義こそ真理であって正統であり、それ以外の宗派は異端であるとして、改宗か迫害を当然視してきたのでは、人権=寛容は受け入れられる余地がない。ところが、今日でも、こうした偏狭な正統主義に染まった社会運動、市民運動が今なお、根強く存在しているのも事実で(私も東京の、2012年の官邸前アクションで、一部の人たちから、脱被ばくの福島集団疎開裁判に対して異端扱いされた)、このような正統主義の思想に染まった非寛容な市民運動から脱却することが日本版の運動の「最初の一歩」であり、ブックレット「私たちは見ている」の基本理念である「政治・政策から人権にシフト」はそのことを含んでいる。

  「寛容のパラドックス」について書かれたカール・ポパーの『開かれた社会とその敵』(1945年)

             ウィキペディア(Wikipedia)より

【第19話】人権についてのつぶやき(3):人権が無力でないとしたら、それはどんな意味で力なのか?(26.7.1)

その3:人権の起源はどこにあるのか?
その関連でもう1つ、
その3-2:各人にとって、人権の個人的な起源はどこにあるのか? つまり、或る人が人権に目覚める瞬間とはどこか?

人権の起源について正面から論じた文献を、司法試験の受験勉強中もその後も、見たことがない。憲法の神様みたいに言われる宮沢俊義の教科書にも書いてない。
それに対し、人権の歴史的起源は13世紀イギリスの「マグナ・カルタ(大憲章)」にあるというのが大体の説明だ。しかし、これは当時、国王と貴族の間の政治的妥協の産物として誕生したルールがのちに近代に至り、市民(ブルジョア)によって自分たちが絶対王政の権力を制限するルールとして再発見されたことを説明するだけで、それ以上、
なぜ、「国家に先立つものとしての自然権としての人権」などという、それまで国家からみたら「幻想でしかない」と吐き捨てられるような人権の考え方が承認されるに至ったのか、その奇跡のような瞬間がどのようにして誕生したのか、その瞬間のカラクリを明らかにすることについては何も説明していない。
それを説明することーーそれが「人権の起源」。

宮沢俊義の教科書のように、17世紀のイギリスの清教徒革命、18世紀のアメリカ(独立)革命、フランス革命の中で、人権が出現したと書かれているだけで、なぜ、そのような事件を通じて、上記に書いたような奇跡の瞬間が訪れたのか、そのカラクリや理由については何も説明がない。まるで、人権はあたかも自動的に誕生したかのように、或いは天から降ってきた自然現象であるかのようにしか書かれていない。これでは、人権は魔法を掛けられて出現した魔術みたいなもので、そこからは精々、ああ、魔法というのは法律をもじって出来た言葉なんだと合点してしまうだけの、実に不可解な説明だ。

その魔法の謎を私に解いてみせてくれたのが、30年前、埼玉県の私立学校自由の森学園で開いた第1回自主講座に呼んだ批評家の柄谷行人だった。
そこで、彼はこんなことを語った。
人権が最初に認められたのは「宗教の自由」と言われているけれど、それは決して、宗教の自由を尊重する念が高まってその自由が認められたのではない。むしろ事態は正反対であって、異なる宗教党派同士の情け容赦ない残虐な宗教戦争の果てに、それに対する深刻な反省から、他者の信仰に対する「寛容」の精神の重要性が自覚され、そこから「宗教の自由」が認められるに至った。
つまり、人権の最初のメニューである「宗教の自由」の起源は、お互いに異質な掟を持ち、異質な信仰を持つ共同体同士が、対立・抗争・排斥・虐殺の果てに自覚された、自分と異なる共同体の信仰に対する「寛容」の精神にあると。

当時、この学校は、自由という刑罰を受けて激しい校内暴力が吹き荒れていて、集団退学問題をめぐって学内で、主流派と反主流の間で深刻な論争、バトルが続いていて、さながら宗教戦争のような凄惨な権力闘争みたいな様相を帯びていた(故・自由の森)。そのため、柄谷行人の「寛容」という言葉は私も含めそこにいた人たちの心に強く響いた。「そうなんだ、人権というのは寛容なんだ」と自分たちがまるで400年以上前の宗教戦争と同じことをしていることに気づかされ、「寛容」という解決のアイデアも教えてもらい、目をキラキラ輝かせながら語ったこの学校の職員のTさんの言葉を今でも覚えている。

しかし、他方で、それ以降、私の中では、これ以上、人権の起源である「寛容」について掘り下げようとは思わず、ここで止まってしまった。
その人権の起源が再び呼び出されたのが、2014年、マンガ「美味しんぼ」の福島原発事故にまつわる描写に政府、自治体から加えられた激しい非難という「美味しんぼ」事件だった。ただし、このときには政府、自治体の人権侵害に対する反撃・抵抗というアクションに追われ(>こちら抗議声明)、それ以上、人権の起源である「寛容」について掘り下げる時間的余裕がないまま、過ぎてしまった。

それで、今回、7.12集会の準備の中で、メンバーのひとりの「人権とは何か?よく分らない」というつぶやきに応えられるだけの準備が不可欠ではないかと思い直し、それで、人権の起源である「寛容」について冗談半分にAIに尋ねたところ、
ピュァリ「思想の自由の歴史」が傑作だ、
という回答で、半世紀近く前に買ったきり読んでいなかったこの本を読み、その内容に驚愕してしまった。

というのは、それまで私は、「宗教の自由」は漠然とプロテスタントの側からもたされたものだと考えていた。しかし実際はそうではなくて、プロテスタントもまた、カソリックと同様、自分たちの宗教こそ真理=正統であり、これと異なる異端の信仰に対しては厳しく取り締まったのであり、そこに「宗教の自由」など認める余地はなかった。それまで私は、宗教戦争は主にカソリックの側からプロテスタントに仕掛けられたものとばかり思って来たが、それもまた思い違いだった。どちらも相手を異端と考え、異端を撲滅することが自らの使命と考えていたから、あそこまで、徹底的な対立・抗争・排斥・虐殺が可能になった。宗教戦争の文献の中に、プロテスタントがカソリックの教徒を虐殺するシーンがあるのに出くわすと、「これは何かの間違いではないか」と急いでそこから離れた。が、これは間違いでも何でもなく、宗教的非寛容の彼らの確信からの当然の帰結だった。
その結果、「宗教の自由」はカソリックでもプロテスタントでもなく、どちらでもない人たちからもたらされた。
その代表格が宗教戦争の悲惨さを目の当たりにして猛省した、イギリスのロック、フランスのヴォルテールだちだった。彼らが宗教的寛容を説いた。それは暗黒の中から光を掴み出すような取り組みだった。それがジワジワと多くの人々の心を捉え、ついに国家や宗教組織ですら否定できない「前国家的な存在」である人権の起源となった。
言い換えれば、人権は、昨今、狂信的政治家として名を馳せているイスラエルのネタニヤフ首相が、次期総選挙に向けて、「まず第一に、排斥の終結だ。私は誰も排斥しない。基本原則、すなわち『イスラエルはユダヤ人の民族国家であり、われわれは個人の権利を尊重する』という点に同意しさえすれば、誰もが参加できる」と表明したように、人権は政治・政策を遂行するうえで最も手軽かつ効率的に持ち出せる便利の手段なんかではなく、その起源からも明らかな通り、対立・抗争・排斥・虐殺の果てに深刻な悔悟、反省の中から生まれた(敢えて言えば)魂の叫びのようなもの。

この人権の誕生の瞬間は、今後、人類が生き延びるために、何度でも反復する価値のある最も貴い歴史的経験だといま改めて思う。

ちなみに、チェルノブイリ法日本版の結成集会の翌年2019年夏に、オーストラリアから私の住む川越まで会いに来た小川さんは、その場ですぐ正会員になりますと言ったのは、実は(その後、ブックレットの基本理念として表明された)「政治・政策から人権にシフト」することの決定的な重要性を自らの体験の中で掴んでいたからだった。それは原発問題の解決について彼なりの反省の末にこの問題は人権で解くしかないと、あたかも、400年前の宗教戦争の対立・抗争・排斥・虐殺の果てに深刻な悔悟、反省の中から生まれた「寛容」という人権の誕生についてみずから追体験したからだった。
しかし、川越駅前の喫茶店で小川さんに初めて会ったとき、私は、すぐ入会した彼のことを「世の中にはいろんな変わった人がいるもんだ」くらいにしか思わなかった。彼の内心で起きていた、人類史の最も貴重な体験に想像をめぐらすという了見がなにもなかった。何という見識の狭い、無知な自分だったと今にして思う。  

      自由の森学園「第一回自主講座」ゲスト柄谷行人(1995年10月28日)                   講座のラスト「国破れて、末人あり」を超えて 文字起こし>こちら

                  by 大脇理智 

【第18話】人権についてのつぶやき(2):人権が無力でないとしたら、それはどんな意味で力なのか?(26.7.1)

 その2:人権が無力でないとしたら、それはどんな意味で力なのか?
言い換えれば、
人権に力があるとしたら、その力の正体は何か?

これは、市民運動の中でしょっちゅう直面する課題。
人権の力をどう捉えるかについて、ひとつの典型が市民運動、とくに活動家と言われる人たちにときどき見受けられるのが次のような考え方。
人権は重要だ、しかし、それは何か人々を動かす理念や理想なのではなく、あくまでも市民運動(政治・政策)を実現するための有力な「手段」として重要なのだと。
だから、彼らのスローガンは「政治・政策実現のための有力な手段=人権」。
だから、ブックレットの「政治・政策から人権へのシフト」に対し、きっと根本的な違和感がある。
だから、人権の尊重の念がないと言わないまでも、正直なところ、人権の尊重の念は薄い、希薄。だから、人権への生の共感も実感としてないにひとしい。人権は、あくまでも目的達成のための手段・道具でしかない。

さらに立ち入ると、それは思想の根本に関わることであって、例えば、唯物論に立つ正統派のマルクス主義の立場からは、すべてを歴史の運動の過程・発展の中で捉えるから、「国家に先立つものとしての自然権としての人権」などという考え方は幻想であり、その実在を認めない。人権はあくまでもブルジョア自由主義というイデオロギーの中から出てきた考え方にすぎず、現実のブルジョア社会やブルジョア国家を超えた自然権とか人権というものは認めない。せいぜい、いわゆる人権が誰も反対できないことを(なぜ人権がそのような性格を持つのかについて、その意味を考察しようとせずに)、単にイデオロギーとして政治・政策を実現する手段として有力な切り札になるという効用に着目して、これを有効活用しようという、もっぱらプラグマティズムの発想で人権を利用しようと目論む。だから、トランプですら反対できない人権の「超政治的・超政策的な力」の意味が分らないから、こういうリアルポリティクスの立場に立つ人たちには、なぜトランプがイランに敗れたか、その理由が実はよく分からない。

ただ、他方で、人権はお金や首相の地位などのような政治的、社会的、経済的な力とはちがう。人権を持っているから、そこから自動的に力が生じるものではない。では、どういうときに、どういうカタチで力を持つのか。
ーーもしそれが分ったら、そのとき、ブックレットの第2版が出せる。これは、それくらい決定的な問いだと思う。
ここでは、この問いに対し極めて個人的な体験でもって答えを試みることにする。

1、高校3年生のとき、授業をサボり続けた私は担任から退学するように勧告されたとき、この時ほどフランス革命の人権宣言とりわけ市民に圧制に対する抵抗権・革命権があるということが身に沁みたことはなかった。このとき、担任は「君は入学するときに校則を守りますと誓約した。しかし、今、君は校則を破って、授業を無断でサボっている。だったら、校則違反として退学したまえ」と完璧に合法的に私に処分を下そうとした。私に残されていたのは、合法という名のもとに私の「教育を受ける権利」を侵害するようなクダラナイ受験勉強を押し付ける授業をボイコットする権利つまり、私に真に学ぶに値するようなまともな「教育を受ける権利」を保障しろと要求する抵抗だけだった。それが200年前のフランス革命の教えだったことをこの時ほど痛感したことはなかった。
つまり、合法的な装いのもとに私を有無を言わせず授業に出席させるというこの秩序形成のやり方、この現実を受け入れ追随することに耐えられなかった私に、うしろから背中を押して、いいんだぜ、学校権力者たちが作り出す既成事実への追随、これをキッパリと否定することを人権は全面的に支持し、応援すると言い放った。
この時、私にとって人権とは、歴史のテストでただ丸をもらうための知識なのではなくて、私にとって、自分の人生の岐路に立ったとき、生き方を決定する上での最大の力=支え、支援となる、私にとって最高の宝物となった。

ただし、この当時、私は自分が体験したことの「意味」を理解することができず、ただ漠然と、オレはフランス革命の人権宣言を宣言した市民たちの気持ちが痛いほど分る!と独りで叫んでいただけで、この貴重な体験を共有できる友人もいなかったため、人権のエッセンスを発見するあと一歩手前のところで、その発見が出来ないまま、孤独の奈落の底に落ちていった。

2、それから20年以上経った、いわゆるブル弁(ブルジョア弁護士)として著作権法という分野の仕事をして、せっせと金儲けに励んでいた時代の末期のこと。真面目に金儲けに励んでいたから真面目に著作権法の勉強もしていた。そのため、或る時、著作権法の正体を知るに至った。その正体とは一言で、欺瞞法、弱肉強食をさらに推進した「強きを助け、弱きを挫く」法、数ある法律中でも市民にとって最も悲惨な法律、いわば「法律のアフガン」或いは「法律のガン」というべき正体だった。もともと小説や映画が大好きで、その分野なら、無味乾燥な法律の仕事がかろうじて続けられるのではないかという不純な動機で著作権法を選んだ。ところが、選んだ相手の著作権法はいわば資本主義の最先端の法と言われるだけあって、「著作権法を見れば、資本主義の未来=最先端が見えてくる」ことに直面してしまった。
その結果、著作権の仕事を通じて知り合った映画の監督や脚本家、スタッフたちが、実は本当に報われない、悲惨な生活を強いられていることを次第に知るようになり、しかも、その悲惨な状態を正当化しているのが自分が選んだ商売道具の著作権法であって、著作権法を前にしては、作品(著作物)の生産者(著作者)は悲惨な地位の改善を求めても手も足も出ない。この窮状を前にして、どうにも出来ない私は自分の無力さ、非力さをいやというほど思い知らされ、落ち込みんだ。その落ち込んだ末に、奈落の底で出会ったのが想定外の法、憲法だった。 作品の生産者に、生産者が創り出した芸術的、文化的価値に相応しい人間的な待遇を与えよ、つまり彼らを人間として扱え!、この叫びを支えてくれたのが憲法の人権だったことに、或る時気がついた。その瞬間、司法試験に合格して以来、ずっと書棚の奥底にしまい込んでいた憲法の人権の教科書を再び取り出して、そこに書かれている人権の言葉が、劣悪な非人間的な境遇の中に置かれている作品の生産者たちを人間として扱うことを求める叫びを全面的に擁護する最高のものであることを見出した。このとき、それまで見えなかった私の目は見えるようになった。著作権法はその上位規範である憲法の人権規定によって破られる(再構成される必要がある)。それを発見したのだ。そして、それが坂本龍一、ちばてつや、鄭義信などの作品の生産者たちと出会う始まりだった。これに反し、もし私自身の中で、暗黒社会を正当化する「法律のガン」である著作権法と格闘する中で憲法に出会った体験がなかったら、坂本龍一たちと出会うこともなかった(せいぜい、ビジネスライクにすれちがっただけで終わった)。
そうすると、人権が力を持ち得るのは「既成の力(権力・金力など)で作られた既成事実への追随」、これをキッパリと否定する瞬間であり、この瞬間を共有できる相手と出会うことが人権を共感できる相手と出会うときなのだ。そういう出会いの積み重ねが人権の力が社会的な広がりを持つときなのだ。そのような出会いをしない限り、人権を単に市民運動の便利な道具・手段としてしか考えない運動家の人たちと何回顔を合わせても、彼らとはついに永久にすれちがうだけでナッシングで終わる。

とはいえ、「既成事実への追随」をキッパリと否定する瞬間を共有できる相手と出会うなんて簡単に出来ることではない。よほど運がよくないと起きないことで、至難の業のように思える。
しかし、60年近く前、高校3年でフランス革命の人権宣言を我が事のように切実なものとして受け止めていた私は、当時、その「意味」を自分で理解することができず、その後、20年以上、人権から遠ざかる迷い道にはまり込んでしまったのに対し、もし当時、誰かがそばで「君はフランス革命という人類史の中で市民が経験した最も貴い体験を追体験しているのだから、その貴い追体験の意味を突き詰める必要がある」と、対話を通して諄々と教えてくれたなら、私の青春はすっかり別物になっていたかもしれない。つまり私たちの周りには、あと一歩で、人類の人権獲得の「意味」の一歩手前まで来ていて、そこで足踏みして行動に踏み出せない人たちがまだまだたくさんいて、そういう人たちに対し、対話を通じて、人権の「意味」を発見する体験を実行する必要があるのだ。

そして、このような対話を通じて相手の人が人権の「意味」を発見したとき、それがどのような個人的な刻印を帯びていようとも、そのとき、私たちは人権についてひとつの交換を経験し、その交換を通じて、新たなネットワークを作ることができる。そのような、人権を通じてつながりあうネットワークが、ブックレットで表明した日本版のネットワークなのではないかと思う。

しかし、以上はまだまだ抽象的で、空理空論にすぎないが、少なくとも今月12日の対話集会のひとつの目標が私の中で明確になった。

フランス人権宣言


【第17話】人権についてのつぶやき(1):人権は絵空事、唐人の寝言か?(26.7.1)

その1:人権は絵空事、唐人の寝言か?

私自身、法律家になって以来、ずっと人権は絵空事、唐人の寝言だと信じて来た。法律家として、裁判所に書面をいくつも書いたが、その中でタブーだったことは、憲法の人権を書き込むことだった。そんなことをしたら、書面がいっぺんで、絵空事、唐人の寝言の書面に変質してしまい、調和が取れなくなったから。なおかつ、そのように考えている法律家が殆どだったし、今でもそうだと思う。

だから、「政治・政策から人権にシフト」という観点で書かれたブックレット「わたしたちは見ている」も、かつての私や私の周りにいた法律家たちからみると、紛れもなく絵空事、唐人の寝言だ。これがそのまますんなり受け止められることは至難の業。

では、果たして、人権は絵空事、唐人の寝言なのか?
ちがう。
アメリカはここ3ヶ月半のイラン攻撃の末、事実上敗北を喫する戦闘終結の覚書を交わした。2月末の奇襲攻撃で最高指導者を殺害し、体制転覆をもくろんだトランプは世界最強の国の威信に賭けても負けられない筈だったこの戦争に負けてしまった。その敗北の理由について、マスコミがあれこれ騒ぎ立てているが、ひとつ、決定的な理由について、どのマスコミも取り上げないと思うことがあった。それは、アメリカは人権に敗れたのだという事実。ここでいう人権とは戦争法(武力紛争法)と言われるもの。今では、戦争をやるにも人権遵守が求められ、それを守らないと国際法違反で責任追及されるようになった。かつて、第二次大戦中では悪名高い連合軍のドレスデン空爆、東京大空襲をはじめとする日本各都市の空爆によって非戦闘員である一般市民や民家が空爆の対象になった。しかし、今ではそのようなことが戦争法(武力紛争法)によって禁じられている。非戦闘員の命、健康、暮らしという人権が戦争の中でも最低限保障されるようになっている。
しかし、戦争に関する私たちの記憶はいまだに第二次大戦の沖縄戦、日本各地の大規模な空襲のまま、殆ど進化していないのではないか(私自身がそうだ)。
つまり、チェルノブイリ法日本版だけではなく、もっと以前から、実は戦争自身が「政治・政策から人権にシフト」するに至り、大きく変質した。そのため、大量殺戮兵器を保有するアメリカもイスラエルも、イランやガザを第二次大戦のときのように簡単に破壊することが困難になった。
これは人権の力がトランプやネタニヤフのような狂信的政治家がやりたいと思っている行動を阻んでいる。これが、人権がただの絵空事、唐人の寝言ではないことを最も雄弁に示す近時の事実。

尤も、これに対して、「たとえ人権が機能していたとしても、それが悲惨な戦争を廃絶させることにはならず、むしろ人権の名の下に、戦争を容認、存続させることになっている」といった非難、批判が加えられることがある。これはちょうど、チェルノブイリ法日本版に対し、それがむしろ原発を容認し、存続させることになっているという批判とパラレルな関係にある。

確かに、人権法としての戦争法はそれ自体が戦争を廃絶させるものではない。しかし、現実には、トランプやネタニヤフといった狂信的政治家が、たえず色んな口実をつけては戦争を起こす現実的危険性がある以上、その戦争に対して、「非戦闘員の命、健康、暮らしをはじめとする人権保障」が徹底的に守られるようになると、その結果、戦争そのものの「意味」がどんどん変質してきて、今回のアメリカ・イラク戦争のように、そのバカらしさ、不毛さが浮き彫りとなり、二度とこんなくだらない真似は支持しないという人々が増えていき、戦争そのものへの廃絶に向けて、また一歩前進することになる。もしそうならば、そのような前進を可能にする人権法である戦争法は戦争廃絶に向けての漸進法としてとても重要なものだ。

私は日本版の学習会で、ずっと福島原発事故は戦争だと言って来た。にもかかわらず、間抜けなことに、戦争に関する戦争法については何も学習してこなかった。
今回のアメリカの敗北を前に、戦争法について少し学ぶ気持ちになり、それを学ぶ中で、やはり(核)戦争である原発事故についても、戦争法はものすごく参考になるのだと思い直した。
つまり戦争に関する人権法が戦争法だとしたら、原発事故に関する人権法がチェルノブイリ法日本版であり、この2つは似たもの同士だということ。
そこからまた、上に述べたように、戦争法が戦争の未来に与える深い影響は、チェルノブイリ法日本版が原発の存続に及ぼす影響、可能性ともリンクしている。

ここまで書いてきて、改めて分ったことはーーーー
かつて、「戦争に人権を!」とスローガンにアクションを起こした、ナイチンゲールら一握りの人たちの無謀な取り組みが脈々と受け継がれて、今の戦争法の発展につらなった。
その真に偉大な歴史的事実は、ナイチンゲールらにならった「原発事故に人権を!」をスローガンにした、チェルノブイリ法日本版の無謀な取り組みが、たとえ今は唐人の寝言のように思われようとも、それは日本版に参加したSさんのような若者たちに脈々と受け継がれて、やがて大きな幹に成長することを確実に予感させるものだ。

    「戦争に人権を!」を掲げて行動を起こしたフローレンス・ナイチンゲール

             ウィキペディア(Wikipedia)より

【第16話】人権についてのつぶやき(0):「人権っていうけど、それが何なのか、実はよく分らない」 を受けて(26.7.1)

この間、7.12集会の準備をしていて、或るメンバーの独り言のような次の言葉にショックを受けた。
「人権っていうけど、それが何なのか、実はよく分らない」 

2年前、「政治・政策から人権へのシフト」という大転換の視点からブックレット「わたしたちは見ている」を作り、それが少なくとも私の新しい出発点だとばかり思っていたが、それが最も身近にいるメンバーにも共有されていないことを教えられ、このことがブックレットが新しいムーブメントを巻き起こすことが出来ない根本原因でもあるのではないかと気づかされた。
ブックレットを真に普及させようと思ったら、人権の「意味」について掘り下げる必要がある。

それで、そもそも「人権」ってなんなんだ?について、もう一度、頭をまっさらにして考え直す必要に迫られて、半世紀以上前に買ったピュァリ「思想の自由の歴史」(岩波新書)を読み始め、思いがけず衝撃を受けた。これは過去500年以上前のことではなく、311以後のここ最近のことが書かれていたからだ。
それで、以下のことについて考えてみた(以下、順次別便で)。

・人権は絵空事、唐人の寝言か?
人権に力があるとしたら、それはどんな風な力なのか?
人権の(歴史的な)起源はどこにあるのか?
人権の限界はどこにあるのか?

これらについて、初心にかえって、E.T.の宇宙人みたいな気持ちで地球に誕生した「人権」について再考しようと思った。


2025年7月14日月曜日

【第15話】ブックレット第2版「311後の市民運動の課題は従来の解き方では解けない」の続きの自問自答(2):人権運動は資本と国家がもたらす矛盾から目をそらすものか(25.7.14)

 私はチェルノブイリ法日本版は人権運動だと捉えている。なおかつその人権運動は「環境権」を原発事故に即して具体化したものだと捉えている。
だが、これに対し、環境権や環境問題という捉え方は資本と国家がもたらす矛盾を直視せず、そこから目をそらすものだという批判がある。
        ↑
確かに、人権運動としての環境権は被害をもたらした資本と国家の政治・政策には深入りしない。あくまでもその政治・政策の結果として生じた「人権侵害」の回復・救済に焦点を当てている。その限りで不徹底と言われたらまさしくその通りである。
その代わり、焦点を当てた「人権侵害」の回復・救済に関する限り、その恒久的回復を果すために、そして二度と同じ人権侵害をくり返さないために、資本と国家の構造にじわりじわりとくさびを打ち込み、その構造の変質を引き起こす。とはいえ、資本と国家の政治・政策に深入りしないから彼らの体質はそう簡単に変わらないために、またしても似たような人権侵害が反復される可能性がある。そのため、それは1回のアクションで一丁あがりとなるものではなく、時間を要する漸進的な永久運動の取組みである。

結論。人権運動としての環境権は被害をもたらした資本と国家の政治・政策には深入りしない。しかし、被害をもたらしたのが資本と国家の政治・政策にあることは明確に認識(=直視)し、その上で、被害の恒久的回復と再発防止のために必要な資本と国家の政治・政策の改善点について直言する。その直視と直言は一度で終わるものではなく、時間を要する漸進的な永久運動の取組みである。

【第14話】ブックレット第2版「311後の市民運動の課題は従来の解き方では解けない」の続きの自問自答(1):人権運動の力はどこにあるのか(25.7.14)

「311後の市民運動の課題は従来の解き方では解けない」というお題について、ブックレット「わたしたちは見ている」の中で、チェルノブイリ法日本版の運動について「政治・政策運動から人権運動へのシフト」という解き方を示した(>こちら)。
その意味は人権運動の可能性を、脱「政治・政策運動」の中に見てきたからだ。それは「政治・政策運動」の本質が「人々を敵と味方に仕分け」し、人々を分断させるからであり、そのような仕分けと分断を乗り越える必要があり、それを乗り越えるカギは人々を分断しない「人権運動」の中にあると思ったからだ。

その認識は正しいとして、次の問題は「311後の市民運動の課題はこの人権運動の解き方だけで解けるのか」、つまり、果してその脱「仕分け」・脱「分断」だけで、自動的に人権運動が大きな力を持ち得るのかどうかにある。この点について、実はまだ問い詰めて来なかった。
そこで、改めて、人権運動の力はどこにあるのか、どこに由来するのか、それについて以下、この間、考えてきたことを記す。
1、人権運動の第1の特質は倫理道徳的運動の点にある。それは命、健康、暮らしといった誰も反対しない、反対できない普遍的な価値の擁護を訴えるもの。
2、だが、倫理道徳的運動ゆえに人々の分断をもたらさないとしても、その理念の力だけから当然に、この運動が大きな力を持ち得るかどうか、それを再吟味する必要がある。
過去に、ガンジーやキング牧師がやった「非暴力抵抗運動」もまた倫理道徳的運動だった。だが、それが大きな力を持ち成功したのは同時にそれが「不買運動」(塩の行進バス・ボイコット運動)を伴ったからだ。つまり、経済的交換の関係の中で市民が主体性を持ち得る局面である市民が「消費者」の立場に立った時()に、そこで例えば「不買運動」のように市民が主体性を発揮したとき、それが経済的、社会的に大きな打撃・影響をもたらした。この成功例の理由は解明する価値がある。

つまり、人権運動が「力」を持つためには、
第1に「正義(理念)の力」そして「愛(無償贈与)の力」。その内容が普遍的な価値を帯びていて、脱「仕分け」脱「分断」により多くの人々の共感・賛同が得られること(道徳的な普遍性)。それに加えて、
第2に「消費者(経済的交換関係)の力」。政治と経済に対して現実的な打撃を与えうる「不買運動」のようなアクションを構想しこれを実行すること。
それは市民が経済的交換の関係の中で主体性を持ち得る局面=「消費者」の立場に立って、その主体性を発揮するアクションに出るときだ。
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では、チェルノブイリ法日本版の運動が大きな力を得るために上記の第2について、いかなるアクションが構想できるか。
つまり、チェルノブイリ法日本版に関わる市民は「消費者」の立場に立って、その主体性を発揮するどのようなアクションが考えられるか。
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その1つが協同組合運動。ただし、ここでは市民が「消費者」の立場に立って主体性を発揮する協同組合=消費協同組合を指す。
例えば、原発を稼動している電力会社に対し、関係自治体の住民は原発事故が発生した場合の救済に協力することを要求し(その具体的な内容は日本版に基づいて最も切実な要求から順次詰めていく必要がある)、それが受け入れられない場合には電気供給の「不買運動(パルシステムなど別の会社に切り替える)」を起こすことを予告し、実行に移す。すなわち、ここでは電気供給という消費者のネットワークを作って不買運動を興して要求を飲ませる(←現実に原発事故が発生した場合に救済に要した費用の最終的な負担者は電力会社なのだから、彼らを巻き込む運動は決して日本版からの逸脱ではない)。

他方、電力会社ではなく、国や自治体に対する関係で、「不買運動」で市民が「消費者」として主体性を発揮し得るのに匹敵するだけの局面はどのような場面か。例えば「主権者」として主体性を発揮し得る局面はどんな場面があるか。選挙の投票。世論調査。デモ。署名。街宣。ブログなどのSNS‥‥

 
)経済的交換の関係の中で市民が主体性を持ち得るのは市民が「消費者」の立場に立った時である。この認識の重要性を訴えたのが雑誌「群像」掲載の柄谷行人「トランスクリティーク」最終回。
そこで彼は言うーー経済的交換の関係の中で、貨幣と商品が交換されるとき、その関係は対称的ではなく(非対称性)、貨幣を持った資本家は労働力商品を売る労働者に対し、主体性を発揮する能動的な地位に立つ。なぜなら、貨幣を持つ者はいつでもどこでもいかなる商品と直接的に交換できる直接交換可能性の権利を持っているから。この「直接交換可能性の権利」こそ貨幣が持つ力である。
だが、資本家も、この経済的交換の関係貨幣―商品―貨幣(M-C-M’の中で一度だけ非主体的で受動的な立場に立たされる。それが彼らが生産した商品を売る時である。このとき、資本家の前に登場するのは消費者つまり広義の労働者である。今度はこの貨幣を持った消費者が商品を売る資本家に対し、主体性を発揮する能動的な地位に立つ。選挙当日だけ主権者になる市民と同様、この瞬間だけ「消費者は王様」になる。他方、資本家は利潤を得るためには、どうしてもこの場面を避けて通ることができない。どんな市民であっても誰もが消費者として主体性を発揮し能動的になれるこの瞬間、ここがロードスだ、ここで跳べ!とこの瞬間を市民運動の中に導入し成功したのがガンジーやキング牧師たちの「不買運動」だった。しかも彼らの「不買運動」は単純な資本家との関係ではなく、国家との関係だった。その意味で、国家や自治体が相手のチェルノブイリ法日本版の参考になる。
あとは、このアイデアをチェルノブイリ法日本版の運動の中でどう具体化するかだ。

 

【第20話】人権についてのつぶやき(4):人権の限界はどこにあるのか?(26.7.1)

その4:人権の限界はどこにあるのか? 「人権の起源」について認識を得ることで、世界が何かこれまでとちがって見えてくるような気分になる。しかし、現実はいつも理念では捉えきれないほど豊僥で、いつも新たな課題を私たちに突きつける。その1つが「人権の限界」。 かつて、憲法の教科書(宮沢俊...