2026年7月19日日曜日

【第27話】もしこの世に数学が存在しなかったら日本版の会をやろうにも続けようにもかわなかった(4)--大河ドラマ「春の波濤」と日本版--(26.7.20)

以下は、7月12日の対話集会(「311後の日本社会と心中するのはバカバカしい」、311後のゴミ屋敷に化した日本社会を再建するための報告と対話集会)のあと、会場で日本版の会の正会員を申し込まれた元数学の教員のKさん宛てに書いた「対話」、ラストの追伸、その4。
ここでの肝は《
「そりゃそうやろ、そうでなかったらおかしいやんけ」というのが背理法》(森毅)

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           大河ドラマ「春の波濤」ドラマストーリー本

おはようございます。
スミマセン!
眼が覚めたら、あっ、もう1つ、忘れ物!と記憶の底から呼び声が聞こえてきました。これで本当の最後にしますので。

(3)で、数学の精神とは「証明」することであると書きました。その証明の中で、私が最も気に入ったのは(私の幼児のニックネームが天邪鬼だったことから推察されるように)、法律家がだいたい採用する直線的な三段論法なんかではなくて、
グルグルと迂回し、三段論法の反対を行くような「背理法」(※)でした。その結果、私は法律(著作権)の仕事の中で、意識しないまま、しょっちゅう、「背理法」を使うことになり、それで311後の全戦全敗と正反対の、311前の「全戦全勝」をもたらしました。

(※)皆さんへ:背理法とは数学における証明法のうち,重要なものの一つです。以下、それについての世界大百科事典の解説。

証明すべき命題の仮定の外に,結論の否定をも仮定して推論を行い,矛盾を導くことにより,もとの命題を証明する方法のこと。
〈誤りに帰着させる〉という意味で帰呈(きびゆう)法とも呼ばれる。
具体例として、素数が無限にあることを背理法で証明してみよう。
素数が有限個しかなかったと仮定して,それら全体を p1,p2,……,pn としよう。N=1+p1p2……pn の素因数 q を考えると,q は p1,p2,……,pnのどれかと一致するのだから,右辺は q で割って1余る。これは,q が N の因数であることに反する。それゆえに素数は無限にある。(永田 雅宜。世界大百科事典より)

その典型が、私にとって最初の著作権の裁判「大河ドラマ『春の波濤』」事件でした(私はNHKの末席の代理人)。著作権侵害が争われる場合、シロかクロかではなく、シロでもあり(あるところは似ていない)、クロでもある(あるところは似ている)のが通常です。その結果、白黒入り混じったグレーの事態をどう評価するのか、という「意味」をめぐる争いになりました。その結果、めいめいが好き勝手な理屈を立てて、シロだ、クロだの主張するので、永遠の水掛け論に入ります。私は、その水掛け論にケリをつけたかった。そこで、採用したのが「背理法」でした。
この大河ドラマ『春の波濤』」事件でもそれで決着が付きました。一審審理の最終ラウンド、非公開の説明会の席上、私は「背理法」で原告作品と被告ドラマストーリー(大河ドラマの解説本)とが著作権侵害にならないことを定性的ではなく、定量的に証明しようと、次の説明をやりました。
原告は両作品が著作権侵害が成立すると主張している。もし、この主張が正しいのなら、(被告ドラマストーリーが原告作品をぱくったのだから)両作品に登場する登場人物ごとに、彼らに関する記述の数もおおむね一致するはずである。そこで今、登場人物ごとに彼らに関する記述の数を数えて、その数を一覧表にまとめ、双方の一覧表をグラフにして比較してみる。本来であれば、登場人物ごとのこのグラフは双方ともほぼ一致するはずである。では、結果はどうだろうか。両者のグラフは全く一致せず、おそろしくちぐはぐである‥‥
この時、説明を聞いていた判決文を起案する左陪席の裁判官が、突然「ウッ!」と低くうめいた。彼は、血の気が失せたようになって、我々の説明を聞いていました。どうやら彼は自分の間違いに気がついたようでした。背理法の勝利の瞬間でした。前回期日の進行協議で、裁判所は私たちに負けを宣告し、それを前提に和解協議の提案をしてきていたので、この説明会の瞬間、形勢が逆転したのです(>その詳細)。
 
しかし、この「大河ドラマ『春の波濤』」事件の本丸(本命)はそこではなく、原告作品と大河ドラマの著作権侵害(法律的には翻案権侵害)でした。この問題でも、我々は「ここが似ていない、違う」とさんざん主張し、相手は「いや、ここが似てる、ここも同じだ」とさんざん主張しあい、千日手みたいな水掛け論の応酬が続いたのです。この水掛け論を何とか「背理法」を使って決着をつけられないか、という試行錯誤が続きました。この論点は言語作品(ノンフィクション)と映像作品との対比という異次元同士の対比のため、上に述べた言語作品同士のような単純な対比方法が使えなかったのです。ああでもない、こうでもないと何度も失敗をくり返した末、或る時、私の脳裏に閃いたのはガロアがおこなったコペルニクス的転回の方法でした。つまり、それまで数百年にわたって、五次以上の代数方程式がどうやったら解けるか、その解き方を一生懸命探っていたのを、ガロアはそのアイデアを飛躍させて、解法の方針を大転換したーーそれが、そもそも五次以上の代数方程式が解けるための条件とは何か、について考えを深め、その条件を満たしているかどうかを検討することによって「5次以上の方程式は加減乗除の方法で解くことが(一般には)できないこと」を証明してみせた、というやり方でした。
これをここでも応用しようと。つまり、それまで、私は、あたかもどうやったら方程式が解けるかのように、どうやったら両作品が似ていないこと(非類似性)を明らかにできるかを必死になって解こうとして壁にぶち当たり、そのどんづまりの果てにふと、ひょっとして、本件は、ガロアのこの方法つまり、そもそもドラマ化が可能な原作の条件とは何なのか、について考えを極め、もしその条件を満たしていない作品であればそれは原作としての資格を欠くのだ、だからそのような場合には「似ている、似ていない」の類似性の比較をやる意味も必要もないと。これしか本件の明快な解決方法はないのではないかと思い至ったのです。

以下がそれについて、当時、文芸学の専門家として意見書を書いてもらっていた文芸評論家の小森陽一氏宛てに書いた「著作権侵害判断のコペルニクス的転回」のコメントです(>その全文)。

最後に一言、私が「物語性」の意味をこのように限定的に考えることができるようになったきっかけを述べます。
 それは、三年前に、たまたま花田清輝の「復興期の精神」のガロアの群論の章を読んだことがきっかけです。
 それまで、私はひたすら、当時の通俗法律書に従い、「原作を主張する作品のオリジナルな部分(物語性)が、ドラマの中に再現されているか」という発想で、原告作品にはどういう「物語性」があるのだろうかと、幾度も幾度も分析を試みました。そ の都度、決まって何か原告作品の「物語性」を掴み損なったような消耗感と徒労感に襲われ、とうとう完全に行き詰まってしまいました。そこで出くわしたのが、花田清輝の「復興期の精神」だったのです、というより、ガロアの群論の発想法だったのです。
つまり、今までの通俗法律書の論法はドラマ化が可能な場合を前提にしてあって、その作品のオリジナルな部分を抽出して、ドラマと較べなさいというものでした。
がしかし、本件はそもそもドラマ化が不可能な場合に当たるのであり、今までの通俗法律書の論法がそのまま通じる訳がない。そこで、ここは、かつてガロアがやった ように、従来の「与えられた方程式を代数的にどうやって解くか」という発想を止め、「代数的に解き得る方程式というものが満たしていなければならない条件とは何か」という風に発想のコペルニクス転回を行なったように、私も、この遡行的方法というべきやり方を取ろうと思ったのです。というより、もうそれしかない!と思ったのです。
それが、「ドラマ化が可能な原作作品が有すべき条件とは一体何か」という切り替えでした。そして、この条件がまさしく「物語性」であったのです。つまり、私が出会った「物語性」というのは、こういった、作品とドラマとの衝突の場で芽生えた代 物だったのです。
 ただ、この体験は私の法律観を一挙に目覚めさせてくれた貴重なもので、それまでは、ある作品の著作物としてのオリジナリティというものを、その作品だけで独立して確定できると能天気に考えていましたが、しかし、この体験以後、このオリジナリティとて、他者との衝突抜きにはその正体は明らかにされないことを確信するに至ったのです。

 そんなことを漠然と考えてきたものですから、先日、小森さんが「物語性」の中身を説明してくれたとき、他者性に言及したので(レベルは全く違うのですが)、ビックリしました。 


長々とスミマセン。何が言いたかったかというと、小森さんへの手紙のラストに書いたように、法律問題の本質は本来、自分自身だけでは決定不可能だ、必ず他者との対立・衝突とその衝突が不可避だ、その他者との調整を行なうのが「背理法」であると。だとしたら、私にとって「背理法」は単に私の気質にピッタリ合っていただけではなくて、もっと深い訳、つまりこれが数ある証明の中でも、本質的な「意味」を帯びているのではないかと思い直すようになったのです。
この背理法の「再発見」は、「311後の日本社会を人権の見地から再建する」という課題に立ち向かう時にも、この背理法が不可欠なのではないかと思うようになったこととリンクしています。
例えば、私はずっと「命、健康、暮らしを最優先にする」ことこそ、原発事故の救済を人権から考える上で本質的なことだと考え、主張してきました。しかし、そこに何かが足りないと感じていた。それが「対話」です。そのことに7.12集会の中で気づいた。他方で、これまで、人権を無視した経済復興を掲げる政府・福島県の政策があり、これと鋭く対立したまま対話もありませんでした。しかし、ここでも対話が可能ではないか、それを可能にする「背理法」を使ってと
気づいたのです
つまり、311後に復興が不可欠である(その一般的な命題を認めよう。その上で)。その場合に、復興の第一歩は「命、健康、暮らしという市民の人権を最優先にする」ことではないだろうか、という問題提起です(スミマセン、荒削りでまだ全く詰めていません)。

そしたら、「背理法」というのはもともと数学における「対話」の方法なんだということに気がつきました。私に「ゲーデルの不完全性定理」を教えてくれた作家の森敦、評論家の柄谷行人、彼らが親しく付き合っていた私の数学の師匠のひとりでもある数学者(>森毅との面会)が森毅で、彼は次のように言っていたことを思い出したからです。

背理法の方がむしろ自然で、三段論法はABCとチェーンでいきますから単純に進んでしまって、あんまり自然だとはぼくは思えないんですよ。「そりゃそうやろ、そうでなかったらおかしいやんけ」というのが背理法だからね(「シンポジウム」編・著 柄谷行人)

その通りだ。もし本気で「対話」に挑戦するのなら「背理法」を活用するしかない、そして、それを最大限活用したのが、対話をしまくったソクラテスだったことも思い出すべきだということに気がつきました。

以上、まとまりのない話で申し訳ありません。とはいえ私にとって、「背理法」とは単に勝つための手っ取り早い手段ではなくて、勝ち負けを超えた、他者との対話の方法であり、それは己の人権のみならず他の全ての人たちの人権をひとしく尊重する「人権の本質」と深くつながっている思想だということであり、それは対話の神様であるソクラテスの「再発見」でもある、という余韻を残した追伸でした。

くり返すと、背理法、対話とは勝つための技術・手段ではなく、人権の本質に迫る哲学・思想である。

【第26話】もしこの世に数学が存在しなかったら日本版の会をやろうにも続けようにもかわなかった(3)--遠山啓と日本版--(26.7.19)

以下は、7月12日の対話集会(「311後の日本社会と心中するのはバカバカしい」、311後のゴミ屋敷に化した日本社会を再建するための報告と対話集会)のあと、会場で日本版の会の正会員を申し込まれた元数学の教員のKさん宛てに書いた「対話」、ラストのその3。

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             遠山啓(太郎次郎社エディタスより) 

今まで、zoom会議のため、中座しました。さきほど、一通りのことは書いた積りでしたが、再読して、あと1つ大切なことが抜け落ちていました。
それは、
311後の日本社会に出現した原発事故の救済に関する法律の体系がスッポリ抜けている(専門用語で法の欠缺状態にある)ことを確信をもって認識するためには、権力や権威や既成事実の前にすっかり拝跪し、追随するのではなく、あくまでもみずから自分の頭で考え判断する力を備える必要があります。そして、
権力や権威や既成事実ではなく、自分の頭で考え判断する力を身につける上で最も有益な方法が数学を学ぶことです。なぜなら、数学が分るためには、権力や権威に頼ってもついに分らず、最後は自分の頭で考え理解するほかないものだからです。
それを言ったのが遠山啓です。彼はこう言いました。

直角三角形に関するピタゴラスの定理は経験的には既に古代エジプトで知られていた。しかし、ピタゴラスが偉いのはそれを証明してみせたことである。証明するまでは、たとえどんなに偉い王さまであろうともそれを主張することは許されない。他方、たとえどんな馬の骨でも証明さえできれば認められる。これが数学そして科学の精神である。

なんと! これならどんな貧乏人(のオレ)でも金持ちや政治家たちにも負けないで互角に戦える道があったのだ、それが「証明」という数学的精神。

この意味で、日本版の単純明快な主張が分らない人というのは、数学的精神と無縁の人、権力や権威や既成事実(それは何も日本政府や原子力ムラに限らない、社会運動、市民運動の保守本流の権力・権威も含む)に頼る癖がついてしまい、自分の頭で考え判断する力をすっかり喪失した、思考停止した人です。

もう1つ。
311後の日本社会に出現した原発事故の救済に関する法律の体系がスッポリ抜け落ちた(専門用語で「法の欠缺」状態にある)ということがいかに異常で、その結果、日本社会が人権侵害のゴミ屋敷に放置(ネグレクト)されたにひとしいものですが、そのことを確信をもって認識するためには、当たり前と思っていることにビックリする資質、言ってみれば「裸の王様を嗤う少年」の心を持つ必要があります。
しかし、当たり前と思っていることにビックリする「裸の王様を嗤う少年」の心を持つのは実はなかなか「言うは易き、行い難し」です。この当たり前と思っていることにビックリする資質は身につける必要があるからです。それを身につける上で最も有益な方法が数学を学ぶことです。なぜなら、数学を身につける目的の1つが当たり前と思っていることにビックリする力を身につけることだからです。

先ほどの投稿に書きましたが、小3のときに、教室でトンチをやっていて、或る女の子が出したトンチ
「1+1は?」
に生徒たちがあれこれ答えた末に、彼女がこう言ったのです。
「みんなちがいます。答えは1です。ここに粘土の固まりが1個あります。こっちにも、粘土の固まりが1個あります。両方の固まりを合わせれば、答えは1個の粘土になります。だから1+1=1です」

!!(なんと)
その驚きに襲われて以来、私は自分は正しい数学をやっているという確信が持てなくなりました。自分がやっているのは、1+1=2と書けば単にテストで◯をもらえるだけのことではないかという深い疑念に襲わました。
私はこの時、自分が数字の1って何のこと?という素材論(数学という織物になぞられて、その織物を構成している素材って 何なんのかを考えること)の入り口に立っていたのです。
数学でつまづく人(逆に言うと、驚ける人)は、たいてい、数学の素材のところでつまづく(逆に言うと、驚ける)のです。
なぜゼロという数字があるのか(ギリシャの数字でも中国の数字にもゼロはないのに)。
なぜ分数という数があるのか(小数だけでいいのに)。
なぜ、虚数という数があるのか(どうやったら二乗してマイナスの数になるの)。
なぜ素数なんてものがあるのか、
こうした数学の素材の意味が分らないから、その素材を組み合わせて作った織物、洋服を見せられても、何のことか、最後までピンと来ない。逆に言えば、こうした数学の素材の意味が分り、その素材の素晴らしさに驚けたら、その素材を組み合わせて作った織物、洋服の素晴らしさにも間違いなく、驚くことができる。
こういう当たり前のことに驚く力を身につけていたなら、311後の日本社会が人権侵害のゴミ屋敷に化していることに、驚かずにおれないはずです。そのゴミ屋敷に平然としていられるのは、そもそも当たり前のことに驚く「裸の王様を嗤う少年」の心を失っているからではないかと思います。

そして、遠山啓の「新数学勉強法」(ブルーバックス)の微分積分を読んだ時、彼がこう言っていたのに全幅の共感を抱きました。
微分・積分ほど世に意味不明な学問はないと言われ、そこで微分・積分=「分かった積(つも)りになる。微(かす)かに分かる」と悪口を叩かれている。しかし、数学の精神とはまさにその反対をめざすもの、明確に分ることである。

この数学の精神は日本版の精神と一致する。日本版の精神も、311後の日本社会が原発事故の救済に関する法律が穴(欠缺)になっているのを人権の見地から穴埋めする、ただそれだけの単純明快な明確なものだから。

この遠山啓から次のことを教わったーー数学とは、単に『人間の精神活動の根本をなす思考をもっと明晰にするために、もっと意識化するために、もっと掘り下げるために』やるだけではなく、『自分自身がもっと素直になるために、もっと自由になるために、そしてもっと大胆不敵になるために』やるのだと(ついでに森毅曰く『もっと横着になるためにも、やるんや』も教わった)。
同様に、この遠山啓がいう数学の精神と同様、日本版もまた「無用な被ばくをしたくない!」と思っている
私たち自身がもっと素直になるために、もっと自由になるために、そしてもっと大胆不敵になるために』やるのだと思った(ついでに『もっと横着になるためにも、やるんや』)。

以上、くり返しですが、私にとって数学を学ぶとは次のことを意味します。そして、それは日本版を理解することと殆んど同じことです。
1、権力や権威や既成事実ではなく、自分の頭で考え判断する力を身につけること。
2、当たり前と思っていることにビックリする力を身につけること。
3、分かった積(つも)りになる。微(かす)かに分かるのではなく、明確に分ることをめざすもの。

Kさんの参加のおかげで、勝手な「対話」をさせてもらう気持ちになって、これまであちこちに書き散らしていた数学のメモを振り返り、まとめさせて貰いました。そんな貴重な「対話」の機会を与えて頂き、心から感謝です。

【第25話】もしこの世に数学が存在しなかったら日本版の会をやろうにも続けようにもかわなかった(2)--ガロアと日本版--(26.7.19)

 以下は、7月12日の対話集会(「311後の日本社会と心中するのはバカバカしい」、311後のゴミ屋敷に化した日本社会を再建するための報告と対話集会)のあと、会場で日本版の会の正会員を申し込まれた元数学の教員のKさん宛てに書いた「対話」、その2。

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               15歳頃のガロアの肖像画
(1)の続き、311福島原発事故を「ゲーデルの不完全性定理」的な視点から振り返る、です。
311まで日本政府は、日本の原発はチェルノブイリのようなちゃちな原発ではないから、「日本で原発事故は起きることは絶対ない」と太鼓判を押していました。しかし、現実には起きました。
そこで、日本政府は日本に起きた福島原発事故をどのように受け止めたか。その答えは「あれ(福島原発事故)はチェルノブイリ事故のような事故ではない。誰も死んでいないし、誰も健康被害を起こしていない。だから、ちょっとした事故として、ジタバタ騒ぐことはない」という、我々市民のカタストロフィに対する本能的恐怖を最大限活用して、彼らなりの解を提示しました。 そうだとしたら、本当に騒ぐようなことは何一つ必要なかった。
だが、その一方で、ちょっとした事故だったら到底あり得ない、超法規的な、つまり法的にはクーデタと評するほかないような独裁国家としての面目躍如の蛮行に出ました。その最初の一歩が、日本の法律に基かず、海外の民間団体の文書(国際放射線防護委員会(ICRP)の2007年勧告)に基いて出された文科省20mSV通知。
次に、それをキッカケに、次々と出された「安全基準値の引き上げ」です。もともと「安全基準値の引き上げに関する大原則とは「危機管理の基本とは、危機になったときに安全基準を変えてはいけないということです。安全基準を変えていいのは、安全性に関する重大な知見があったときだけ」である(2011年11月25日「第4回低線量被ばくのリスク管理に関するワーキンググループ」での児玉龍彦氏の発言〔21分~〕)
つまり、
基本原則1: 危機になったときに安全基準を変えてはいけない。
基本原則2:安全基準値の変更が許されるのは、「安全性に関する重大な知見があったときだけ」「安全についての新しい知見が生まれた」(児玉龍彦VS金子勝「放射能から子どもの未来を守る」157頁)ときだけ。
これは人々の命と健康を守るための人権上の大原則を意味します。しかし、国は別に「安全性に関する重大な知見があった」訳ではないのに様々な安全基準値を引き上げました。
もし真実、誰も健康被害を起こしていないほどの、ちょっとした事故だというのなら、なぜ、戦後、民主主義国家・法治国家の一員として歩んできた日本政府は、311でいきなりこのような法的なクーデタに出たのか。それは、福島原発事故が発生した時、日本政府は決定不能な状態に陥ったからですーー事故をリアルにそのまま認めるのか、それともたいしたことのない小さな事故に矮小化するのかという。権力内部の水面下での逡巡の末、日本政府は後者の道(原発事故の矮小化)を選択しました。しかし、これですんなり決定不能の難問が解決した訳ではなかった。その解を選択した結果、今度はまた新たな決定不能の問題に直面したからです。それがどうやって、矮小化した原発事故の後始末(我々市民にとっては命、健康、暮らしの救済)を法律的な整合性をとって進めるか、でした。これも超難問でした。なぜなら、311まで日本には福島原発事故級の放射能災害を予定しておらず、これに対する法の備えが皆無=法の全面的な欠缺状態だったからで、原発事故の後始末するための道具=法的手段が制定されていなかったからです。
そこで、権力内部の水面下での逡巡の末、日本政府は法がないんなら、無法でやるしかないと、行政の独裁権力を行使するだけだと決断を下した、それが日本の法律に基かないで、外国の民間団体の勧告に基いくという体裁を取り繕った文科省20mSV通知です。なぜならもともと権力者とは、例外状態において決断をする者だからです(カール・シュミット「政治的神学」)こうして、日本政府は緊急事態の道(法的なクーデタ)の道を選択したのです。
なぜそのような独裁権力と非難されても弁解不可能な無理難題、支離滅裂な決定を下したのか。その根本的な理由はそもそも福島原発事故が従来の事故の枠組みではとうてい捉えられない、未曾有の事故だからです。それを「ちょっとした事故」で片づけようとするので、その解が完全に破綻するほかなかったからです。その異常事態の状態が311以後、ずっと続き、それが311後の日本社会のバックボーンを形成している。
以上のような意味で、日本政府自身がずっと決定不能な状態に陥っている。311後の日本社会を見ていて、そう感じました。

そこで、311後の、日本政府が決定不能に陥った問題を解決するにはどうしたらいいのか。その当時、再稼動反対、原発廃炉の声が沸き起こり、世論になりましたが、それはそれで大切なことでしたが、だが、これが日本政府が決定不能に陥った福島原発事故の救済の問題の解にならないことは明らかでした。

そこで、緊急を要する「福島原発事故の救済の問題」の解を求めて、井戸謙一さんたちと、福島の子どもたちの集団疎開を求めて「ふくしま集団疎開裁判」を提訴したわけですが、この裁判の時に、私ら弁護団自身が20mSV通知を出した文科省と同様の決定不能のジレンマに直面しました。なぜなら、我が国は311まで原発事故が起きるとは思っていないから、原発事故を想定した救済の法律が存在しなかった、つまり福島県の子どもたちの集団避難を根拠付ける法律が見つからなかったからです。チェルノブイリ法はありましたが、これは他国の法律であって、そもそも条約でもないから、根拠法として使うことができませんでした。もしこのときチェルノブイリ法日本版が制定されていれば、我々は裁判を起こすこともなく、福島の子どもたちの集団疎開を要求できたのです(今の311子ども甲状腺がん裁判と同様ですが)。そのことを痛恨の思いで感じたときのことを覚えています。

そして、もし、この時「ふくしま集団疎開裁判」が勝訴していれば、福島県の子どもたちの集団疎開は実現し、その勢いに乗って、チェルノブイリ法日本版の制定運動が盛り上がり、その実現も十分可能性がありました。だから、日本政府は「ふくしま集団疎開裁判」が天下分け目の決戦だと踏んでいた。矢ヶ崎さん、岡田さん、後藤さんたち日本内外からたくさんの人が応援してくれましたが、勝利まであと一歩のところで、2013年4月、この裁判は敗退しました。その敗退の中で、もうひとつの解として浮上したのがチェルノブイリ法日本版です。だから、もし「ふくしま集団疎開裁判」が勝訴していれば、チェルノブイリ法日本版という解は取り上げなかった。一歩前進、二歩後退みたいな形で裁判が敗退したために、そこで、新たな解を求めて、行動を起こすしかなかった。それが「チェルノブイリ法日本版」です。

しかし、本当に、「チェルノブイリ法日本版」が実現可能なのか、「ふくしま集団疎開裁判」の敗退当時、正直のところ、まったく自信がありませんでした。もちろん私の周りの人に、「チェルノブイリ法日本版」の話をしても何を寝言みたいなことを言っているのかと思われるのが落ちでした。なので、自信をなくした私は、いったん、日本から逃げ出して、カナダ・モントリオールの開催された世界最大の市民運動「世界社会フォーラム」に参加して、そこで福島の現実を訴えました。そしたら、「世界の常識は日本の非常識」で、そこに参加した世界市民から、「チェルノブイリ法日本版」は圧倒的な支持を受けました。その支持に背中を押され、帰国して、そこで、当時、保養の活動で行き詰まりを感じていた三重のお母さんから相談を受けて、じゃあ、「チェルノブイリ法日本版」を今まで誰もやったことのない解決方法で挑戦しましょう、と一歩前に踏み出すことにしたのです。その解というのが「市民立法」でチェルノブイリ法日本版を実現するという日本で情報公開法の成功したやり方でした(以下が、その時、お母さんが日本版制定を呼びかけた文章)。
 
チェルノブイリ法日本版の条例制定を一緒にやりませんか(2017.5)

この「市民立法」というアイデアが私を「チェルノブイリ法日本版」制定に一歩踏み出す原動力になったのですが、そのようなアイデアを与えてくれた原点は実は数学でした。具体的にはガロアの群論でした。ガロアの群論は理解するのが難しくて、未だに判然と理解できていないのですが(最近も「ガロア偉大なる曖昧さの理論」に接し、驚いた)、当時、私は、ガロアの群論に対する挑戦について数学者の次の解説を読み、全面的に共感しました。それなら、日本版も同様に挑戦してみる価値があると、背中を押されたのです。

数学においてはよく起こることだが、問題が極めて困難なとき、人類はそれまでとはちがった新たな方法が要求されていることを理解し、それを見出してきた。その結果、この新たな方法はその問題の解決が必要としたものよりもはるかに実り多い、適用範囲の広いものとなった。アーベル、ガロアの貢献は5次方程式を解くという個別の問題を完全に解いたばかりではなく、方程式の解法を超えた数学全体に新たな基本的な概念すなわち群の概念を与えたことにある(デーデキント「数について」(岩波文庫)の訳者河野伊三郎解説)。

日本版の制定に向けての取り組みが困難なのは、いくつもの理由が挙げられます。しかし、基本的にそれは原発事故という日本史上初めてのカタストロフィーに対する解決策がなかったということ、そこで、日本の市民運動が従来から抱えている根本的な課題が否応なしに浮上し、それらと直面せざるを得ないということ(例えば、菅谷昭さんがつとに指摘される日本市民の特性「難治性悪性反復性健忘症」など)に由来します。だから、困難なのは当然です。
しかし、小出裕章さんが言われるように、ひとたび原発事故が起きた以上、「時計はもとには戻せない。私たちは汚染された世界に生きるしかない」。そうだとしたら、その現実と向き合う中で、いかに、311後の未曾有の世界を、311までの「既成概念のメガネ」ではなく、311まで見たことのない「新たなメガネ」をかけて、再発見、再構成し、それでもって市民立法に再挑戦するしかありません。それが、私が学習会のパワポ資料の表題に掲げた
「すべての認識と希望の扉を叩く」
http://1am.sakura.ne.jp/Chernobyl/181222presen.pdf

ことでした。その時、このすべての認識と希望の扉を叩く原動力のなる「新たなメガネ」、それが私にとっては数学のアイデアでした。
そして、チェルノブイリ法日本版の制定が困難であればあるほど、そのために取り組む私たちの挑戦は、否応なしに、日本社会が抱える様々な困難な課題、困難を、根本から変革していく大きな原動力になることを、上に述べたガロアの群論の意義から確信したのです。 

今月12日の対話集会の第2部に参加した若者が、感想として「自分は外国人排斥のヘイトスピーチに反対するアクションに参加しているのだけれど、今日聞いた「生成法」の話、私たち市民一人ひとりの行動が法律を生成する原動力なのだというお話は自分が取り組んでいるアクションに新しい光を当ててくれるもので、とても元気が出た」旨を言いました。
これを聞いて、人々は日本版の取り組みに参加することで、自分たち自身の取り組みの意味にも新たな光が当てられ、新たな意味を再発見できるのだと確信し、この意味で、日本版の取り組みが日本社会を根底から変えていく力になれるのではないかという希望を抱きました。だから、「すべての認識と希望の扉を叩く」 必要があり、そのために数学を学ぶことが大切なのだと思いました。 


【第24話】もしこの世に数学が存在しなかったら日本版の会をやろうにも続けようにもかわなかった(1)--卓球の名コーチ、マリオ・アミズィッチと日本版--(26.7.19)

 以下は、7月12日の対話集会(「311後の日本社会と心中するのはバカバカしい」、311後のゴミ屋敷に化した日本社会を再建するための報告と対話集会)のあと、会場で日本版の会の正会員を申し込まれた元数学の教員のKさん宛てに書いた「対話」、その1。
これまで日本版の会には数学関係者の人は皆無だった。初めてそのような人が参加したので、思わず、これまで胸のうちにあった思いを吐き出したもの。
> その2(ガロアと日本版) その3(遠山啓と日本版) その4(大河ドラマ「春の波濤」と日本版)

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 私にとって、数学の関係者の方がこの会に参加して頂き、今まで誰にも言えなかったことが言える気分で、本当に嬉しく思います。
それは、私にとってチェルノブイリ法日本版の会の立ち上げ、存続の本質に関わることでもあり、以下、殆んどの皆さんにとっては私のつぶやきですが、Kさんにはメッセージとして殴り書きを記しました。

昨年3月11日に、敬愛する脚本家橋本忍の郷里近くの兵庫県市川町で学習会(>その報告)をやった時、次の題で話をしました。
父よ母よーー人権のない世界の住民と人権の世界の住民を分け隔てるものーー( 分断をつなぐ橋――人権そして「生活再建権」の再発見 )」 

このパワポ資料は「人権はそこらにころがっているものではなく、我々自身が発見するほかないものである」ことを述べた、私にとってとりわけ大切なものでして、その最後の68頁以下で、次のことを書きました。

―今、市民運動に必要なもの―それは「考え、考え、考え抜くこと。」
こう言ったのは、卓球の名コーチ、マリオ・アミズィッチです。

彼はNHK「奇跡のレッスン」で、子どもたちに、練習するときの心構えとして第1に「考えること」を挙げ、練習が終わった時、「ああ、今日は身体を動かしてクタクタだ」ではなく、「ああ、今日は頭を使って考え抜いて頭がクタクタだ」でなくてはいけないとアドバイス。
いまや、純粋の運動ですら考えることの重要性が自覚されている。
いわんや、より複雑な市民運動においてをや。

          NHK「奇跡のレッスン」マリオ・アミズィッチ

私にとって、その市民運動で「ああ、今日も頭を使って考え抜いて頭がクタクタだ」のモデルが数学的な思考を使って考えることでした。なぜなら、数学は私にとって世界を認識する上での根本的なメガネ、そのメガネをかける前とあとでは、二度と同じ生き方ができなくなるほど、頭の中がグチャグチャになるほどの決定的な意味を持ったからです(>小3のそのささやかな体験
 
それから四半世紀経って、ようやくその小3の時の謎が解けました。それが、無限の世界は1+1=1が成立することを教えてくれた遠山啓の「無限と連続」でした(>プレゼン資料5頁以下)。この 無限を眺めるメガネを手にしたことにより、35歳のとき、数学基礎論で「ゲーデルの不完全性定理」()という超ケッタイナなものが本当にこの世に存在することを知り、その瞬間、我々の文明社会(脳化社会)の宿命的な限界を思い知らされてブルブル驚愕しました。

)皆さんへ:この定理はチェコ生れの24歳の数学者クルト・ゲーデルが1930年に数学的に証明した定理で、これによって「いかなる体系もその体系の中では決定不可能な命題が存在する」ことが論理的に証明されました。つまり、体系なるものは現実を離れてそれ自身で自立することが不可能であることが証明された訳です。この定理に対し、オッペンハイマーは「人間の理性一般における限界というものの役割を明らかに示した」と評しました。今、AIがこの問題で喧々諤々の騒ぎの中にいるのだと理解しています。

「ゲーデルの不完全性定理」は数学的な証明にとどまらず、数学以外の様々な分野で、そのビジョンが大きな影響を及ぼしました。第一次世界大戦で、ロシアは社会体制の矛盾が噴出し、このまま戦争継続かそれとも終結かという問題をめぐって決定不可能になりました。その時、レーニンが提示したのは戦争継続でも、また単なる終結でもない、もうひとつの新たな解でした、それが「すべての権力をソヴィエトへ(その上で即時無条件戦争終結)」。つまり従来の解では決定不能な問題を新たな解の中で解き直そうという提示であり、これがロシア市民に受け入れられました。これは「ゲーデルの不完全性定理」的な根本問題に対する当時、最も考え抜かれたひとつの解の提示でした(とはいえ、その社会組織論には重大な欠陥があり、それが後に露呈します)。だから、当時、「3日以上持たない」(ジョン・リード「世界をゆるがした十日間」(岩波文庫)上123頁)と言われた超劣悪な条件下での未熟児のソビエト政権が3日を遥かに超えて70年間、存命し得たのです(とはいえ、70年も存在してよかったとは全然思えませんが)。

これと似た事態が発生したのが311福島原発事故です。

長くなったので、後半は別便(>こちら)で書きます。

2026年7月15日水曜日

【第23話】Stupidな人たちの呼びかけに応えてチェルノブイリ法日本版の会への参加を決断された菅谷昭さん(2026.5.11)

これは昨年(2025年)暮れ、私たちの呼びかけに応えてチェルノブイリ法日本版の会への参加を決断された菅谷昭さんの紹介です。

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菅谷昭さんは、松本市長時代、311直後から、福島県の子どもたちの被ばく影響を憂慮し、国策として集団疎開の必要性を正面から訴えた日本の自治体の唯一の首長です。その貴重な声に耳を傾けない国に抗するため、松本市に福島県の子どもたちを国内留学させる「まつもと子ども留学」を提案し、このプロジェクトは成功しました。
しかし、この成功体験を日本中に広げる取組みは後続が実現せず、失敗に終わりました。同時に、彼は日本人の最悪の病気が「難治性悪性反復性健忘症」にあることを見抜き、311直後は騒いでも、やがてこの病気が蔓延し、原発事故の救済は人々の忘却のかなたに打ち捨てられる運命が待ち受けている困難も予知していました。
奮闘努力された彼は、2024年公職を退いた時点で、余生をゆっくり送る積りでした。ところが、チェルノブイリ法日本版の取組みを知り、自分が311以来ずっと訴えてきたことを今も変わらず訴えているStupidな人たちがいることを知り、この取り組みは全国行脚してでも日本中の市民に届ける必要があると再認識され、新老年として力の許す限り余生を日本版の実現に捧げようと入会を決断されました。
同時に、彼は「自分は人寄席パンダではない、日本版の輪を広げるのはひとりひとりの会員の主体性にかかっている」を唱え、もうひとつの日本人の最悪の病気「難治性悪性反復性依存症」の克服を訴えています。
菅谷さんの決意を活かすも殺すも私たち次第であると、彼の入会の重みをひしひし感じています。

(2026年5月11日 柳原敏夫)

 

   2013年6月 子ども留学立ち上げメンバーとの2回目の打ち合わせ

2014年4月、入寮生激励に寮訪問した時、子どもたちと記念撮影

2026年7月6日月曜日

【第22話】人権についてのつぶやき(6):人権の未来は人権の起源にある? ーー人権のもう1つの起源はイソノミア(無支配)ーー(26.7.7)

他の「人権についてのつぶやき」は>こちら

             沢田研二「イソノミア」(2017年)
結論
「古い真理を⼈の⼼に残そうとするなら新しい⾔葉で何度も⾔い直さなくてはならない」(ハイエク)。2500年前の人類史の最良の真理のひとつ「イソノミア(無支配)」、この真理を意識的、自覚的に再発見し、継承する中にこそ、絶望の中から希望を掴み取るチャンスがある。それが人を支配せず、人々を分断しない「人権」を再発見することである。

それはまた、柄谷行人が哲学の起源(2012年11月)で、「社会の構造を、唯物論のような生産様式で捉えるのではなく、交換様式で捉えた」時、最後の4番目に見出せる「自由と平等を担保した未来社会の原理」としての交換様式X(以下の図参照)が、世界史の中で普遍宗教だけではなく、古代イオニア地方で「イソノミア(無支配)」の政治社会体制としても存在したと指摘した、その「意味」をさらに「人権」から再発見することである。

 
 
前置き

なぜ過去の歴史を学ぶのか。それについて柄谷行人はこう述べた。

小説の未来は小説の過去にある、と後藤明生が書いている。小説が何処へ行くかを問うには、それがどこから来たかを問うべきである。‥‥これはほかの領域にもあてはまる。われわれがどこへ行くのかを問うには、どこから来たかを問うべきである。資本主義の未来は、資本主義の起源にある。(批評空間93NO.9編集後記)
これを原発事故の歴史に当てはめるとこうなる。
311(福島原発事故)でわれわれがどこへ行くのかを問うには、それがどこから来たかを問うべきである。311(福島原発事故)の未来は原発事故の起源(過去)にある(「6.24」提訴から一周年の思い――なぜ、ふくしまで集団疎開が実現しないのか。疎開裁判から市民立法へ(2012.7.19一部追加))。
これを人権について当てはめるとこうなる。

   人権についてわれわれがどこへ行くのかを問うには、それがどこから来たかを問うべき  である。人権の未来は人権の起源にある。

本題
昨日、7月12日の対話集会の登壇者小川晃弘さんと打ち合わせをしていて、彼が作成したパワポ資料を眺めているうちに、不思議な気分になった。
それは彼が
力説する「政治・政策」と「人権」の本質的なちがい(人を支配するかしないか。人々を分断するかしないか)が、私にあることを気づかせてくれたからである。
それは「
政治・政策」とは、人の人に対する支配を前提として、そして支配に帰結するもの(だから、否応なしに分断が生じる)として構想されているのに対し、「人権」は人の人に対する支配を根底から否定することを前提にして、そこに帰結するように運用されるもの(だから、構造的に分断が生じない)として構想されているということ。だとしたら、それは「デモクラシー(多数者支配)」と「イソノミア」と言い換えることができるのではないか。つまり「政治・政策」と「人権」は「民主主義」と「無支配」と言い換えられる。

311の原発事故で、民主主義の著しい機能不全を体験した時、この矛盾は代表民主主義の危機であり、この危機は直接民主主義によって克服するしかない、それ以外にはないと思って行動してきた。
しかし、そのような民主主義に対する認識(
代表民主主義はダメでも直接民主主義なら何とかなるのではないか)では甘いことを、のちに知った。それが柄谷行人の「哲学の起源」だった。
その中で、民主主義が「デモクラシー」の英訳から明らかな通り、デモ(
多数者)によるクラシー(支配)=多数者支配のことであり、王制や貴族制の「少数者」による支配を否定するものであっても、支配である点はそれまでの王制と変わらないことを教わった。つまり、直接民主主義であっても、しょせんは多数者「支配」の枠組みの中のものでしかなく、人々と賛成と反対に仕訳し、多数決で少数者の政策を排除し、分断をもたらす「政治・政策」のロジックが貫徹される点では、既に機能不全に陥っている代表民主主義と変わらない。

ブックレット「わたしたちは見ている」で、人々を賛成と反対に仕訳し、多数決で少数者の政策を排除し、分断をもたらす「政治・政策」のロジックを乗り越えるために見出されたのが「人権」のロジックだった。なぜなら、人権は全ての市民が享有するものであるから、人権に関して全ての人はひとしく尊重され、多数決で少数者の政策を排除せず、分断をもたらさないロジックだからである。

だとしたら、人権とはイソノミア(無支配)の別名なのではないか。柄谷行人は哲学の起源」の中で、紀元前6世紀、古代アテネの民主主義が栄える以前に、人が人を支配しないイソノミア(無支配)が古代イオニア地方に実在したが、その後滅亡し、その記憶がイオニアの自然哲学(タレスやヘラクレイトスなど)やソクラテスの中に刻まれていると書いたが、この記憶を最もリアルに、なおかつ生き生きと保持しているのが人権のロジックなのではないか。

言い換えれば、ブックレット「わたしたちは見ている」は、「政治・政策から人権にシフト」することを通じて、311後の人権侵害のゴミ屋敷に化した日本社会を再建する道筋を見出そうとした。それは人の「支配」を本質とする政治・政策から、人の「無支配」(イソノミア)を本質とする人権にシフトすることで、日本社会の再建をめざす試みなのではないか。

 ブックレット「わたしたちは見ている」を出版した2年前、「政治・政策から人権にシフト」というアイデアが奇想天外、唐人の寝言のようにバカにされるかもしれないと思ったが、2年の年月を経て、このアイデアは柄谷行人の「哲学の起源」とリンクすることで、イソノミア(無支配)に起源を持つ、すこぶる示唆的、刺激的なものに根ざしていたものだと分った。

そして、私たちの取り組みは人権を、単なる観念的な操作、議論にとどめるのではなく、現実の社会の人間関係のあり方を組み替えていく際の羅針盤として考えるものである。
例えば、私たちの働き方について、経営者の指揮命令に従属するという支配を本質とする賃労働から、無支配(イソノミア)を本質とする協同労働=協同経営の協同組合へのシフトも、
311後の人権侵害のゴミ屋敷に化した日本社会を再建する道筋の重要な柱として考えている。

                2012年11 月出版


2026年7月5日日曜日

【第21話】人権についてのつぶやき(5):人権と向き合うとはどういうことか? ーー7.12対話集会に向けてーー(26.7.6)

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311直後、文科省の20mSV通知に対する異議申し立てとして、ふくしま集団疎開裁判を提訴した(上の映像)。その当時、今から想像するに、思っていた以上にこの裁判を支援する人たちが国内外にたくさんいた。
それに比べたら、今は何という少数に激減してしまったのだろうか。
とはいえ、311直後に、ふくしま集団疎開裁判に心を寄せてくれた人たちの誠意に嘘偽りはなく、本当に、子どもたちの避難の必要性を実感していた。
だとしたら、この人たち(当時、共感を表明し、現在は沈黙の中にいる人たち)に何を伝えたら、再び、共感を取り戻すことができるだろうか?
それがずっと、私の中で中心的な課題のひとつだった。

以下は、それに対する回答ではないが、手がかりを書いたもの。
311直後、ふくしま集団疎開裁判に心を寄せてくれた人たちの応援の輪は半端でなく、私たちもまた、出来る範囲で、世界内外からその声を拡散しようとした(例えば>イタリアの市民の声)。

 
 
その声は司法にも届き、それは2013年4月の仙台高裁の判決(決定)に反映し、頂上(勝訴)まであと一歩のところまで辿り着く(以下の報告)。
 


とはいえ、私たちの主張が認められなかったことは紛れもない事実であり、裁判は敗北を余儀なくされた。
しかし、本当の試練はそのあとに訪れた。
「裁判敗北という既成事実」を前にして、これに屈服するのか、これに抗うのか、そこが問われたから。
私たちはむろん抗う道を選択した。その最初の一歩が、
【判決直後アクション】『子どもたちを被曝から守ろう!5.18新宿デモ』 

このデモで大奮闘したひとりが山本太郎さん(以下の写真をクリックすると動画が再生)。

私もメッセージを書き、デモに参加した。
次はデモ、そして第二次疎開裁判、同時に避難プロジェクト。私たちはどんなむごい境遇でも決して自分の心を失わない「大地の子」

しかし、そのあと、じわじわ、じわじわと沈黙に転じる人たちが増えていった。
それ自体はいか仕方ないことかもしれない。それ自体をどうこう非難はできない。

ただし、今にしてひとつ、新たに分ったことがある。
それは、人権と向き合うとは、例えばふくしま集団疎開裁判の敗北という既成事実を突きつけられた時、その既成事実に屈服するのではなく、その既成事実に抗うこと、その時、それが人は人権と向き合うという「意味」だということ。
その意味で、人権と向き合うというのは生易しいことではない。もしそのようなものが人権だったら、人権という言葉は国の人権に関する教材で「人に優しくすること」と書かれているような美しい絵空事でも、気楽に使える言葉でもないことに気がつくだろう。そのように認識して、私たちは人権と向き合うべきだし、人権を考えることが肝心だと思う。
そして、そのように人権を理解して、そのあと、たとえ、これと向き合おうと決断し、その覚悟が出来ないとしても、なんとか決断したい、なんとか覚悟を持ちたいと思っている人は、その求め・模索の中で、例えば原発事故の救済を求めて模索する人は、きっと、ひとりのお母さんのチェルノブイリ法日本版の呼びかけに出会うと思う。
311から15年、もう一度、この人権について、来週の7.12対話集会で話したい。



2026年7月1日水曜日

【第20話】人権についてのつぶやき(4):人権の限界はどこにあるのか?(26.7.1)

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その4:人権の限界はどこにあるのか?

「人権の起源」について認識を得ることで、世界が何かこれまでとちがって見えてくるような気分になる。しかし、現実はいつも理念では捉えきれないほど豊僥で、いつも新たな課題を私たちに突きつける。その1つが「人権の限界」。

かつて、憲法の教科書(宮沢俊義)で学んだ「人権の限界」の一般論というものは次の通り、至って単純明快なものだった。
1、人権は全ての権利の中で最上位に位置する、国家に先立つ権利である。
2、従って、人権に対抗できるものは国ではなく、唯一、他の者の人権のみである。
3、つまり、人権は人権同士の対立・衝突を調整する必要がある限りで、制限される。
4、その制限とは、人権相互の対立・衝突を実質的平等の見地から合理的に制限することである。

しかし、これは純粋に形式論理的に首尾一貫しているだけのことで、そこには現実の持つダイナミズムは反映していない。壮絶な宗教戦争の対立・構想の果てからひょっこり顔を出した寛容の精神といったダイナミズムがここにはない。それは単につまらないだけでなく、現実を不完全にしか捉えていないのではないか。
‥‥というコメントを残して次へ。

人権の起源として「寛容」に着目したとき、「人権の限界」は「寛容の限界」と言い直すことができる。しからば、「寛容の限界」とは何か?
例えば、表現の自由を寛容の観点から言い直すと、
「権威の座にある人たちの気に食わない意見を発表する自由」
では、こうした寛容は全面的に保障されるべきか。それを問うたのがヘイトスピーチ。
ヘイトスピーチを擁護する人は言う。
寛容を重視するのであれば、ヘイトスピーチにも寛容で臨むべきだ、と。
しかし、自分たちへの寛容を求めるヘイトスピーチを擁護する人たち自身は、ヘイトスピーチで対象にしている人たちに対して極めて非寛容で臨んでいる。
つまり、自分たちが採っている非寛容に基づく表現に対して、寛容な扱いを求めている。それは以下でチョムスキーが指摘した通り、偽善者的であり、そのようなものが果して正当化され得るのか?

イギリスの哲学者のカール・ポパーは言った、
「もし社会が無制限に寛容であるならば、その社会は最終的には不寛容な人々によって寛容性が奪われるか、寛容性は破壊される」
これをヘイトスピーチに当てはめれば、
「もし社会がヘイトスピーチに無制限に寛容であるならば、その社会は最終的には不寛容な人々によって寛容性が奪われるか、寛容性は破壊される」

ヘイトスピーチ以上に、ここ40年間、最もショックだったことはインターネットの暗黒化。かつて情報を市民が共有するユートピアとして出発したはずのインターネットはこの40年間で、ニセメール、ニセ情報、ヘイト情報、炎上で溢れかえり、市民を攻撃し、だます輩が日々暗躍するブラックワールドに変質してしまった。この惨憺たる現状もまた、情報共有に対する「無制限の寛容」がもたらした成れの果てだということに今ようやく気づいた。40年前、インターネットによる情報共有がスタートした当初から、もっとこの「無制限の寛容」がもたらす途方もない悪弊に目を向けて、その対策を真剣に講じるべきだったと、自分の無知・愚かさを実感している。 

カール・ポパーの「寛容のパラドックス」はヘイトスピーチに限らず、私たち自身の日常の市民生活の中でも、絶えず問われるとても重要な問題。
もし「無制限の人権」が許されないのと同様、「無制限の寛容」も許されないとしたら、「寛容の制限」はどこに見出せるのか。
もし「人権の制限」が「人権相互の対立・衝突を実質的平等の見地から合理的に制限すること」だとしたら、これと同様に、「寛容の制限」もまた、「寛容同士の対立・衝突を実質的平等の見地から合理的に制限すること」といった見地から基礎づけられるのか?
しかもヘイトスピーチのような場合には、寛容と寛容が衝突しているのではなくて、寛容に対して非寛容が衝突している。その場合には、もはや「寛容同士の対立・衝突」とは言えず、本来の「寛容同士の対立・衝突」の調整と比べ、もっとずっと厳しい制限・調整になって当然ではないのか。

その「寛容の制限」の調整原理として、基礎付けのひとつになるかもしれないと思うのが「偽善者」の禁止。
チョムスキーによると、偽善者とは「他の人に当てる物差しを自分にもあてることを拒否する者」と定義される。
その結果、「自分が他の人を攻撃、脅迫、侮辱、中傷誹謗することは寛容の精神 に照らして許されるが、他人が自分に対し同様の行為をすることは許されないと考える」場合には、その人は偽善者ということになる。
チョムスキーはアメリカの外交政策はいつもこの偽善者だったと指摘する。
アメリカが他国におかす犯罪行為(ハメネイ暗殺など)はどんなにひどかろうが、米国にとって存在しない。しかし、同様の他国の犯罪行為(911など)に対しては言語同断、決して容赦しない、と。トランプもこの偽善者の典型。

以上のとおり、人権=寛容は、これまでなかったような強力な力を人々に与えた。それが「万人に保障された」という性格です。この性格により、人々と利益を享有できる人たちとできない人たちに分断するという従来の政治・政策の宿命的な危険性を克服した。とはいえ、現実にはすべての人が無制限に人権を享有できるわけではないため、そこで、すべての人が可能な限り最大限の人権を享受できるように、その「人権の制限」という厄介な難問に否応なしに取り組まざるを得ない。
もしも、この難問を解くのを面倒くさがり、放置するとき、強者の人権が弱者の人権を抑圧する結果となり、仁義なき「弱肉強食」の世界になる。だから、この難問と向き合うほかない。これが最強のカードである人権に課せられた最大の難問。
この難問を首尾よく解くために、私たち市民の総力と智慧を結集して、その解き方に習熟する必要がある。それは一日にしてできることではなく、終わりのないレベルアップのための修練の日々。

くり返しになるが、この難問を正しく解くためには、まず最初に、人権=寛容という基本を認識する必要がある。
しかし、これは意外に難しい。かつての宗教戦争のように、自分たち宗派の教義こそ真理であって正統であり、それ以外の宗派は異端であるとして、改宗か迫害を当然視してきたのでは、人権=寛容は受け入れられる余地がない。ところが、今日でも、こうした偏狭な正統主義に染まった社会運動、市民運動が今なお、根強く存在しているのも事実で(私も東京の、2012年の官邸前アクションで、一部の人たちから、脱原発ではなく、脱被ばくを掲げる福島集団疎開裁判に対して異端扱いされた)、このような正統主義の思想に染まった非寛容な市民運動から脱却することが日本版の運動の「最初の一歩」であり、ブックレット「私たちは見ている」の基本理念である「政治・政策から人権にシフト」はそのことを含んでいる。

  「寛容のパラドックス」について書かれたカール・ポパーの『開かれた社会とその敵』(1945年)

             ウィキペディア(Wikipedia)より

【第19話】人権についてのつぶやき(3):人権の歴史的な起源はどこにあるのか?(26.7.1)

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その3:人権の起源はどこにあるのか?
その関連でもう1つ、
その3-2:各人にとって、人権の個人的な起源はどこにあるのか? つまり、或る人が人権に目覚める瞬間とはどこか?

人権の起源について正面から論じた文献を、司法試験の受験勉強中もその後も、見たことがない。憲法の神様みたいに言われる宮沢俊義の教科書にも書いてない。
それに対し、人権の歴史的起源は13世紀イギリスの「マグナ・カルタ(大憲章)」にあるというのが大方の文献の説明だ。しかし、これは当時、国王と貴族の間の政治的妥協の産物として誕生したルールがのちに近代に至り、市民(ブルジョア)によって自分たちが絶対王政の権力を制限するルールとして再発見されたことを説明するだけで、それ以上、
なぜ、「国家に先立つものとしての自然権としての人権」などという、それまで国家からみたら「幻想でしかない」と吐き捨てられるような人権の考え方が承認されるに至ったのか、その奇跡のような瞬間がどのようにして誕生したのか、その瞬間のカラクリを明らかにすることについては何も説明していない。
それを説明することーーそれが「人権の起源」。

宮沢俊義の教科書のように、17世紀のイギリスの清教徒革命、18世紀のアメリカ(独立)革命、フランス革命の中で、人権が出現したと書かれているだけで、なぜ、そのような事件を通じて、上記に書いたような奇跡の瞬間が訪れたのか、そのカラクリや理由については何も説明がない。まるで、人権はあたかも自動的に誕生したかのように、或いは天から降ってきた自然現象であるかのようにしか書かれていない。これでは、人権は魔法を掛けられて出現した魔術みたいなもので、そこからは精々、ああ、魔法というのは法律をもじって出来た言葉なんだと合点してしまうだけの、実に不可解な説明だ。

その魔法の謎を私に解いてみせてくれたのが、30年前、埼玉県の私立学校自由の森学園で開いた第1回自主講座に来てくれた批評家の柄谷行人だった。
そこで、彼はこんなことを語った。
人権が最初に認められたのは「宗教の自由」と言われているけれど、それは決して、宗教の自由を尊重する念が高まってその自由が認められたのではない。むしろ事態は正反対であって、異なる宗教党派同士の情け容赦ない残虐な宗教戦争の果てに、それに対する深刻な反省から、他者の信仰に対する「寛容」の精神の重要性が自覚され、そこから「宗教の自由」が認められるに至った。
つまり、人権の最初のメニューである「宗教の自由」の起源は、お互いに異質な掟を持ち、異質な信仰を持つ共同体同士が、対立・抗争・排斥・虐殺の果てに自覚された、自分と異なる共同体の信仰に対する「寛容」の精神にあると。

当時、この学校は、自由という刑罰を受けて激しい校内暴力が吹き荒れていて、集団退学問題をめぐって学内で、主流派と反主流の間で深刻な論争、バトルが続いていて、さながら宗教戦争のような凄惨な権力闘争みたいな様相を帯びていた(故・自由の森)。そのため、柄谷行人の「寛容」という言葉は私も含めそこにいた人たちの心に強く響いた。「そうなんだ、人権というのは寛容なんだ」と自分たちがまるで400年以上前の宗教戦争と同じことをしていることに気づかされ、「寛容」という解決のアイデアも教えてもらい、目をキラキラ輝かせながら語ったこの学校の職員Tさんの言葉を今でも覚えている。

しかし、他方で、それ以降、私の中では、これ以上、人権の起源である「寛容」について掘り下げようとは思わず、ここで止まってしまった。
その人権の起源が再び呼び出されたのが、2014年、マンガ「美味しんぼ」の福島原発事故にまつわる描写に政府、自治体から加えられた激しい非難という「美味しんぼ」事件だった。ただし、このときには政府、自治体の人権侵害に対する反撃・抵抗というアクションに追われ(>こちら抗議声明)、それ以上、人権の起源である「寛容」について掘り下げる時間的余裕がないまま、過ぎてしまった。

それで、今回、7.12集会の準備の中で、メンバーのひとりの「人権とは何か?よく分らない」というつぶやきに応えられるだけの準備が不可欠ではないかと思い直し、それで、人権の起源である「寛容」について冗談半分にAIに尋ねたところ、
ピュァリ「思想の自由の歴史」が傑作だ、
という回答で、半世紀近く前に買ったきり読んでいなかったこの本を読み、その内容に驚愕してしまった。

というのは、それまで私は、「宗教の自由」は漠然とプロテスタントの側からもたされたものだと考えていた。しかし実際はそうではなくて、プロテスタントもまた、カソリックと同様、自分たちの宗教こそ真理=正統であり、これと異なる異端の信仰に対しては厳しく取り締まったのであり、そこに「宗教の自由」など認める余地はなかった。それまで私は、宗教戦争は主にカソリックの側からプロテスタントに仕掛けられたものとばかり思って来たが、それもまた思い違いだった。どちらも相手を異端と考え、異端を撲滅することが自らの使命と考えていたから、あそこまで、徹底的な対立・抗争・排斥・虐殺が可能になった。宗教戦争の文献の中に、プロテスタントがカソリックの教徒を虐殺するシーンがあるのに出くわすと、「これは何かの間違いではないか」と急いでそこから離れた。が、これは間違いでも何でもなく、宗教的非寛容の彼らの確信からの当然の帰結だった。
その結果、「宗教の自由」はカソリックでもプロテスタントでもなく、どちらでもない人たちからもたらされた。
その代表格が宗教戦争の悲惨さを目の当たりにして猛省した、イギリスのロック、フランスのヴォルテールだちだった。彼らが宗教的寛容を説いた。それは暗黒の中から光を掴み出すような取り組みだった。それがジワジワと多くの人々の心を捉え、ついに国家や宗教組織ですら否定できない「前国家的な存在」である人権の起源となった。
言い換えれば、人権は、昨今、狂信的政治家として名を馳せているイスラエルのネタニヤフ首相が、次期総選挙に向けて、「まず第一に、排斥の終結だ。私は誰も排斥しない。基本原則、すなわち『イスラエルはユダヤ人の民族国家であり、われわれは個人の権利を尊重する』という点に同意しさえすれば、誰もが参加できる」と表明したように、人権は政治・政策を遂行するうえで最も手軽かつ効率的に持ち出せる便利の手段なんかではなく、その起源からも明らかな通り、対立・抗争・排斥・虐殺の果てに深刻な悔悟、反省の中から生まれた(敢えて言えば)魂の叫びのようなもの。

この人権の誕生の瞬間は、今後、人類が生き延びるために、何度でも反復する価値のある最も貴い歴史的経験だといま改めて思う。

ちなみに、チェルノブイリ法日本版の結成集会の翌年2019年夏に、オーストラリアから私の住む川越まで会いに来た小川さんは、その場ですぐ正会員になりますと言ったのは、実は(その後、ブックレットの基本理念として表明された)「政治・政策から人権にシフト」することの決定的な重要性を自らの体験の中で掴んでいたからだった。それは原発問題の解決について彼なりの反省の末にこの問題は人権で解くしかないと、あたかも、400年前の宗教戦争の対立・抗争・排斥・虐殺の果てに深刻な悔悟、反省の中から生まれた「寛容」という人権の誕生についてみずから追体験したからだった。
しかし、川越駅前の喫茶店で小川さんに初めて会ったとき、私は、すぐ入会した彼のことを「世の中にはいろんな変わった人がいるもんだ」くらいにしか思わなかった。彼の内心で起きていた、人類史の最も貴重な体験に想像をめぐらすという了見がなにもなかった。何という見識の狭い、無知な自分だったと今にして思う。  

      自由の森学園「第一回自主講座」ゲスト柄谷行人(1995年10月28日)                   講座のラスト「国破れて、末人あり」を超えて 文字起こし>こちら

                  by 大脇理智 

【第18話】人権についてのつぶやき(2):人権が無力でないとしたら、それはどんな意味で力なのか?(26.7.1)

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その2:人権が無力でないとしたら、それはどんな意味で力なのか?
言い換えれば、
人権に力があるとしたら、その力の正体は何か?

これは、市民運動の中でしょっちゅう直面する課題。
人権の力をどう捉えるかについて、ひとつの典型が市民運動、とくに活動家と言われる人たちにときどき見受けられる次のような考え方。
人権は重要だ、しかし、それは何か人々を動かす理念や理想なのではなく、あくまでも市民運動(政治・政策)を実現するための有力な「手段」として重要なのだと。
だから、彼らのスローガンは「政治・政策実現のための有力な手段=人権」。
だから、ブックレットの「政治・政策から人権へのシフト」に対し、きっと根本的な違和感がある。
だから、人権の尊重の念がないと言わないまでも、正直なところ、人権の尊重の念は薄い、希薄。だから、人権への生の共感も実感としてないにひとしい。人権は、あくまでも目的達成のための手段・道具でしかない。

さらに立ち入ると、それは思想・哲学の根本に関わることであって、例えば、唯物論に立つ正統派のマルクス主義の立場からは、すべてを歴史の運動の過程・発展の中で捉えるから、「国家に先立つものとしての自然権としての人権」などという考え方は幻想であり、その実在を認めない。人権はあくまでもブルジョア自由主義というイデオロギーの中から出てきた考え方にすぎず、現実のブルジョア社会やブルジョア国家を超えた自然権とか人権というものは認めない。せいぜい、いわゆる人権が誰も反対できないことを(なぜ人権がそのような性格を持つのかについて、その意味を考察しようとせずに)、単にイデオロギーとして政治・政策を実現する手段として有力な切り札になるという効用に着目して、これを有効活用しようという、もっぱらプラグマティズムの発想で人権を利用しようと目論む。だから、トランプですら反対できない人権の「超政治的・超政策的な力」の意味が分らないから、こういうリアルポリティクスの立場に立つ人たちには、なぜトランプがイランに敗れたか、その理由が実はよく分からない。

ただ、他方で、人権はお金や首相の地位などのような政治的、社会的、経済的な力とはちがう。人権を持っているから、そこから自動的に力が生じるものではない。では、どういうときに、どういうカタチで力を持つのか。
ーーもしそれが分ったら、そのとき、ブックレットの第2版が出せる。これは、それくらい決定的な問いだと思う。
ここでは、この問いに対し極めて個人的な体験でもって答えを試みることにする。

1、高校3年生のとき、授業をサボり続けた私は担任から退学するように勧告されたとき、この時ほどフランス革命の人権宣言とりわけ市民に圧制に対する抵抗権・革命権があるということが身に沁みたことはなかった。このとき、担任は「君は入学するときに校則を守りますと誓約した。しかし、今、君は校則を破って、授業を無断でサボっている。だったら、校則違反として退学したまえ」と完璧に合法的に私に処分を下そうとした。私に残されていたのは、合法という名のもとに私の「教育を受ける権利」を侵害するようなクダラナイ受験勉強を押し付ける授業をボイコットする権利つまり、私に真に学ぶに値するようなまともな「教育を受ける権利」を保障しろと要求する抵抗だけだった。それが200年前のフランス革命の教えだったことをこの時ほど痛感したことはなかった。
つまり、合法的な装いのもとに私を有無を言わせず授業に出席させるというこの秩序形成のやり方、この現実を受け入れ追随することに耐えられなかった私に、うしろから背中を押して、いいんだぜ、学校権力者たちが作り出す既成事実への追随、これをキッパリと否定することを人権は全面的に支持し、応援すると言い放った。
この時、私にとって人権とは、歴史のテストでただ丸をもらうための知識なのではなくて、私にとって、自分の人生の岐路に立ったとき、生き方を決定する上での最大の力=支え、支援となる、私にとって最高の宝物となった。

ただし、この当時、私は自分が体験したことの「意味」を理解することができず、ただ漠然と、オレはフランス革命の人権宣言を宣言した市民たちの気持ちが痛いほど分る!と独りで叫んでいただけで、この貴重な体験を共有できる友人もいなかったため、人権のエッセンスを発見するあと一歩手前のところで、その発見が出来ないまま、孤独の奈落の底に落ちていった。

2、それから20年以上経った、いわゆるブル弁(ブルジョア弁護士)として著作権法という分野の仕事をして、せっせと金儲けに励んでいた時代の末期のこと。真面目に金儲けに励んでいたから真面目に著作権法の勉強もしていた。そのため、或る時、著作権法の正体を知るに至った。その正体とは一言で、欺瞞法、弱肉強食をさらに推進した「強きを助け、弱きを挫く」法、数ある法律中でも市民にとって最も悲惨な法律、いわば「法律のアフガン」或いは「法律のガン」というべき正体だった。もともと小説や映画が大好きで、その分野なら、無味乾燥な法律の仕事がかろうじて続けられるのではないかという不純な動機で著作権法を選んだ。ところが、選んだ相手の著作権法はいわば資本主義の最先端の法と言われるだけあって、「著作権法を見れば、資本主義の未来=最先端が見えてくる」ことに直面してしまった。
その結果、著作権の仕事を通じて知り合った映画の監督や脚本家、スタッフたちが、実は本当に報われない、悲惨な生活を強いられていることを次第に知るようになり、しかも、その悲惨な状態を正当化しているのが自分が選んだ商売道具の著作権法であって、著作権法を前にしては、作品(著作物)の生産者(著作者)は悲惨な地位の改善を求めても手も足も出ない。この窮状を前にして、どうにも出来ない私は自分の無力さ、非力さをいやというほど思い知らされ、落ち込みんだ。その落ち込んだ末に、奈落の底で出会ったのが想定外の法、憲法だった。 作品の生産者に、生産者が創り出した芸術的、文化的価値に相応しい人間的な待遇を与えよ、つまり彼らを人間として扱え!、この叫びを支えてくれたのが憲法の人権だったことに、或る時気がついた。その瞬間、司法試験に合格して以来、ずっと書棚の奥底にしまい込んでいた憲法の人権の教科書を再び取り出して、そこに書かれている人権の言葉が、劣悪な非人間的な境遇の中に置かれている作品の生産者たちを人間として扱うことを求める叫びを全面的に擁護する最高のものであることを見出した。このとき、それまで見えなかった私の目は見えるようになった。著作権法はその上位規範である憲法の人権規定によって破られる(再構成される必要がある)。それを発見したのだ。そして、それが坂本龍一、ちばてつや、鄭義信などの作品の生産者たちと出会う始まりだった。これに反し、もし私自身の中で、暗黒社会を正当化する「法律のガン」である著作権法と格闘する中で憲法に出会った体験がなかったら、坂本龍一たちと出会うこともなかった(せいぜい、ビジネスライクにすれちがっただけで終わった)。
そうすると、人権が力を持ち得るのは「既成の力(権力・金力など)で作られた既成事実への追随」、これをキッパリと否定する瞬間であり、この瞬間を共有できる相手と出会うことが人権を共感できる相手と出会うときなのだ。そういう出会いの積み重ねが人権の力が社会的な広がりを持つときなのだ。そのような出会いをしない限り、人権を単に市民運動の便利な道具・手段としてしか考えない運動家の人たちと何回顔を合わせても、彼らとはついに永久にすれちがうだけでナッシングで終わる。

とはいえ、「既成事実への追随」をキッパリと否定する瞬間を共有できる相手と出会うなんて簡単に出来ることではない。よほど運がよくないと起きないことで、至難の業のように思える。
しかし、60年近く前、高校3年でフランス革命の人権宣言を我が事のように切実なものとして受け止めていた私は、当時、その「意味」を自分で理解することができず、その後、20年以上、人権から遠ざかる迷い道にはまり込んでしまったのに対し、もし当時、誰かがそばで「君はフランス革命という人類史の中で市民が経験した最も貴い体験を追体験しているのだから、その貴い追体験の意味を突き詰める必要がある」と、対話を通して諄々と教えてくれたなら、私の青春はすっかり別物になっていたかもしれない。つまり私たちの周りには、あと一歩で、人類の人権獲得の「意味」の一歩手前まで来ていて、そこで足踏みして行動に踏み出せない人たちがまだまだたくさんいて、そういう人たちに対し、対話を通じて、人権の「意味」を発見する体験を実行する必要があるのだ。

そして、このような対話を通じて相手の人が人権の「意味」を発見したとき、それがどのような個人的な刻印を帯びていようとも、そのとき、私たちは人権についてひとつの交換を経験し、その交換を通じて、新たなネットワークを作ることができる。そのような、人権を通じてつながりあうネットワークが、ブックレットで表明した日本版のネットワークなのではないかと思う。

しかし、以上はまだまだ抽象的で、空理空論にすぎないが、少なくとも今月12日の対話集会のひとつの目標が私の中で明確になった。

フランス人権宣言


【第17話】人権についてのつぶやき(1):人権は絵空事、唐人の寝言か?(26.7.1)

他の「人権についてのつぶやき」は>こちら

その1:人権は絵空事、唐人の寝言か?

私自身、法律家になって以来、ずっと人権は絵空事、唐人の寝言だと信じて来た。法律家として、裁判所に書面をいくつも書いたが、その中でタブーだったことは、憲法の人権を書き込むことだった。そんなことをしたら、書面がいっぺんで、絵空事、唐人の寝言の書面に変質してしまい、調和が取れなくなったから。なおかつ、そのように考えている法律家が殆どだったし、今でもそうだと思う。

だから、「政治・政策から人権にシフト」という観点で書かれたブックレット「わたしたちは見ている」も、かつての私や私の周りにいた法律家たちからみると、紛れもなく絵空事、唐人の寝言だ。これがそのまますんなり受け止められることは至難の業。

では、果たして、人権は絵空事、唐人の寝言なのか?
ちがう。
アメリカはここ3ヶ月半のイラン攻撃の末、事実上敗北を喫する戦闘終結の覚書を交わした。2月末の奇襲攻撃で最高指導者を殺害し、体制転覆をもくろんだトランプは世界最強の国の威信に賭けても負けられない筈だったこの戦争に負けてしまった。その敗北の理由について、マスコミがあれこれ騒ぎ立てているが、ひとつ、決定的な理由について、どのマスコミも取り上げないと思うことがあった。それは、アメリカは人権に敗れたのだという事実。ここでいう人権とは戦争法(武力紛争法)と言われるもの。今では、戦争をやるにも人権遵守が求められ、それを守らないと国際法違反で責任追及されるようになった。かつて、第二次大戦中では悪名高い連合軍のドレスデン空爆、東京大空襲をはじめとする日本各都市の空爆によって非戦闘員である一般市民や民家が空爆の対象になった。しかし、今ではそのようなことが戦争法(武力紛争法)によって禁じられている。非戦闘員の命、健康、暮らしという人権が戦争の中でも最低限保障されるようになっている。
しかし、戦争に関する私たちの記憶はいまだに第二次大戦の沖縄戦、日本各地の大規模な空襲のまま、殆ど進化していないのではないか(私自身がそうだ)。
つまり、チェルノブイリ法日本版だけではなく、もっと以前から、実は戦争自身が「政治・政策から人権にシフト」するに至り、大きく変質した。そのため、大量殺戮兵器を保有するアメリカもイスラエルも、イランを第二次大戦のときのように簡単に破壊することが困難になった。
これは人権の力がトランプやネタニヤフのような狂信的政治家がやりたいと思っている行動を阻んでいる。これが、人権がただの絵空事、唐人の寝言ではないことを最も雄弁に示す近時の事実。

尤も、これに対して、「たとえ人権が機能していたとしても、それが悲惨な戦争を廃絶させることにはならず、むしろ人権の名の下に、戦争を容認、存続させることになっている」といった非難、批判が加えられることがある。これはちょうど、チェルノブイリ法日本版に対し、それがむしろ原発を容認し、存続させることになっているという批判とパラレルな関係にある。

確かに、人権法としての戦争法はそれ自体が戦争を廃絶させるものではない。しかし、現実には、トランプやネタニヤフといった狂信的政治家が、たえず色んな口実をつけては戦争を起こす現実的危険性がある以上、その戦争に対して、「非戦闘員の命、健康、暮らしをはじめとする人権保障」が徹底的に守られるようになると、その結果、戦争そのものの「意味」がどんどん変質してきて、今回のアメリカ・イラク戦争のように、そのバカらしさ、不毛さが浮き彫りとなり、二度とこんなくだらない真似は支持しないという人々が増えていき、戦争そのものへの廃絶に向けて、また一歩前進することになる。もしそうならば、そのような前進を可能にする人権法である戦争法は戦争廃絶に向けての漸進法としてとても重要なものだ。

私は日本版の学習会で、ずっと福島原発事故は戦争だと言って来た。にもかかわらず、間抜けなことに、戦争に関する戦争法については何も学習してこなかった。
今回のアメリカの敗北を前に、戦争法について少し学ぶ気持ちになり、それを学ぶ中で、やはり(核)戦争である原発事故についても、戦争法はものすごく参考になるのだと思い直した。
つまり戦争に関する人権法が戦争法だとしたら、原発事故に関する人権法がチェルノブイリ法日本版であり、この2つは似たもの同士だということ。
そこからまた、上に述べたように、戦争法が戦争の未来に与える深い影響は、チェルノブイリ法日本版が原発の存続に及ぼす影響、可能性ともリンクしている。

ここまで書いてきて、改めて分ったことはーーーー
かつて、「戦争に人権を!」とスローガンにアクションを起こした、ナイチンゲールら一握りの人たちの無謀な取り組みが脈々と受け継がれて、今の戦争法の発展につらなった。
その真に偉大な歴史的事実は、ナイチンゲールらにならった「原発事故に人権を!」をスローガンにした、チェルノブイリ法日本版の無謀な取り組みが、たとえ今は唐人の寝言のように思われようとも、それは日本版に参加したSさんのような若者たちに脈々と受け継がれて、やがて大きな幹に成長することを確実に予感させるものだ。

    「戦争に人権を!」を掲げて行動を起こしたフローレンス・ナイチンゲール

             ウィキペディア(Wikipedia)より

【第16話】人権についてのつぶやき(0):7.12集会に向けて:「原発事故に人権を! さりとて、人権っていうけど、それが何なのか、実はよく分らない」 を受けて(26.7.1←7.6追加)

この間、「原発事故に人権を!」を掲げるチェルノブイリ法日本版の7.12対話集会(上のチラシ参照)の準備をしていて、或るメンバーの独り言のような次の言葉にショックを受けた。
人権っていうけど、それが何なのか、実はよく分らない」 

2年前、「政治・政策から人権へのシフト」という大転換の視点からチェルノブイリ法日本版のブックレット「わたしたちは見ている」(末尾の画像参照)を出版した時、これが少なくとも私の新しい出発点だとばかり思っていた(ブックレット前書き参照)。だが、それが最も身近にいるメンバーにも共有されていないことを教えられ、このことがブックレットが新しいムーブメントを巻き起こすことが出来ない根本原因でもあるのではないかと気づかされた。というのは、人権というのは誰もが知っていて、実は誰もその正体を知らない、現代の神みたいな不可解、不可思議の存在、誰もが躓く躓きの石だ。
ブックレットを真に普及させようと思ったら、人権の「意味」について掘り下げる必要がある。

それで、そもそも「人権」ってなんなんだ?について、もう一度、頭をまっさらにして考え直す必要に迫られて、半世紀以上前に買ったピュァリ「思想の自由の歴史」(岩波新書)を読み始め、思いがけず衝撃を受けた。これは過去500年以上前のことではなく、311以後のここ最近のことが書かれていたからだ。
それで、以下のことについて考えてみた(以下、別の投稿で)。

・人権は絵空事、唐人の寝言か? >第17話
人権に力があるとしたら、それはどんな風な力なのか? 第18話
人権の(歴史的な)起源はどこにあるのか? 第19話
人権の限界はどこにあるのか? 第20話
・人権と向き合うとは
どういうことか第21話
・人権の未来は人権の起源にある? >第22話

これらについて、初心にかえって、E.T.の宇宙人みたいな気持ちで地球に誕生した「人権」について再考しようと思った。
そして、7月12日の対話集会でこれらについて思う存分、対話してみたいと思う。

  ブックレット「わたしたちは見ている」の解説>こちら

【第27話】もしこの世に数学が存在しなかったら日本版の会をやろうにも続けようにもかわなかった(4)--大河ドラマ「春の波濤」と日本版--(26.7.20)

以下は、7月12日の 対話集会 (「311後の日本社会と心中するのはバカバカしい」、311後のゴミ屋敷に化した日本社会を再建するための報告と対話集会)のあと、会場で日本版の会の正会員を申し込まれた元数学の教員のKさん宛てに書いた「対話」、ラストの追伸、その4。 ここでの肝は《 「...