311直後、文科省の20mSV通知に対する異議申し立てとして、ふくしま集団疎開裁判を提訴した(上の映像)。その当時、今から想像するに、思っていた以上にこの裁判を支援する人たちが国内外にたくさんいた。
それに比べたら、今は何という少数に激減してしまったのだろうか。
とはいえ、311直後に、ふくしま集団疎開裁判に心を寄せてくれた人たちの誠意に嘘偽りはなく、本当に、子どもたちの避難の必要性を実感していた。
だとしたら、この人たち(当時、共感を表明し、現在は沈黙の中にいる人たち)に何を伝えたら、再び、共感を取り戻すことができるだろうか?
それがずっと、私の中で中心的な課題のひとつだった。
以下は、それに対する回答ではないが、手がかりを書いたもの。
311直後、ふくしま集団疎開裁判に心を寄せてくれた人たちの応援の輪は半端でなく、私たちもまた、出来る範囲で、世界内外からその声を拡散しようとした(例えば>イタリアの市民の声)。
その声は司法にも届き、それは2013年4月の仙台高裁の判決(決定)に反映し、頂上(勝訴)まであと一歩のところまで辿り着く(以下の報告)。
とはいえ、私たちの主張が認められなかったことは紛れもない事実であり、裁判は敗北を余儀なくされた。
しかし、本当の試練はそのあとに訪れた。
「裁判敗北という既成事実」を前にして、これに屈服するのか、これに抗うのか、そこが問われたから。
私たちはむろん抗う道を選択した。その最初の一歩が、
【判決直後アクション】『子どもたちを被曝から守ろう!5.18新宿デモ』
このデモで大奮闘したひとりが山本太郎さん。
次はデモ、そして第二次疎開裁判、同時に避難プロジェクト。私たちはどんなむごい境遇でも決して自分の心を失わない「大地の子」
しかし、そのあと、じわじわ、じわじわと沈黙に転じる人たちが増えていった。
それ自体はいか仕方ないことかもしれない。それ自体をどうこう非難はできない。
ただし、今にしてひとつ、新たに分ったことがある。
それは、人権と向き合うとは、例えばふくしま集団疎開裁判の敗北という既成事実を突きつけられた時、その既成事実に屈服するのではなく、その既成事実に抗うこと、その時、それが人は人権と向き合うという「意味」だということ。
その意味で、人権と向き合うというのは生易しいことではない。もしそのようなものが人権だったら、人権という言葉は国の人権に関する教材で「人に優しくすること」と書かれているような美しい絵空事でも、気楽に使える言葉でもないことに気がつくだろう。そのように認識して、私たちは人権と向き合うべきだし、人権を考えることが肝心だと思う。
そして、そのように人権を理解して、そのあと、たとえ、これと向き合おうと決断し、その覚悟が出来ないとしても、なんとか決断したい、なんとか覚悟を持ちたいと思っている人は、その求め・模索の中できっと、ひとりのお母さんのチェルノブイリ法日本版の呼びかけに出会うと思う。
311から15年、もう一度、この人権について、来週の7.12対話集会で話したい。



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