2024年2月7日水曜日

【第10話】58年間の振り返り(3):最高裁判事中村治朗はただの「反動の理論的司令塔」ではない

以下は、子ども脱被ばく裁判の弁護団MLに投稿した一文。


この冬休み、中村治朗最高裁判事に対する私の見方がグラグラしたのは、のちの最高裁判事園部逸夫の次の評価を読んだ時です。
中村は「裁判所の法創造機能によって制定法の欠缺を埋めることについてはかなり積極的であった」、と。
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これこそ、311後の日本の法体系の課題をズバリ言い当てたものではないかと思ったからです。つまり、
福島原発事故の発生により、原発事故の救済に関する法体系が全面的な「法の欠缺」状態にあることが明らかになり、この欠缺を補充する必要に迫られた時、この問題に真正面から立ち向かう必要(すなわち法律の上位規範である国際人権法を使って欠缺の補充を実行する必要)があり、そのことがまさに、法律の解釈における「法創造機能」を発揮する立場なのだという点からも全面的に肯定されると私は考えていたところ、
中村はすでに半世紀前から、この考えに立って、法の解釈を実行していたのだと知ったからです。

そのような「法創造機能」を発揮する立場から法の欠缺の補充をやってのけたのが、中村が調査官時代に担当した昭和51年4月14日の議員定数不均衡訴訟の大法廷判決です。このとき、首席調査官の中村が発明した「事情判決の法理」という理論が大法廷多数意見の採用するところとなり、この法理がのちの同種の訴訟のリーディングケースとなります。この法理の採用については、これによって、国会が最高裁の違憲判決を軽視(スルー)する危険が生まれるという批判が加えられます。しかし、だからといって、公職選挙法第219条をそのまま適用して、違憲判決が下された選挙をあとから無効としたら、それにより国会機能が停止してしまいかねず、政治的混乱は覆うべくもありません。政治的影響力の極めて大きな問題について、「選挙は違憲だが、事情判決の法理により無効とはしない」という判断の手法は、ひとり議員定数不均衡訴訟に限らず、ほかの様々な政治的影響力の極めて大きな問題についても、つまり本裁判においても他山の石とすべき重要な問題だと思います。
そして、なぜ中村がそのアイデアを思いつくことができたか、それは若くして英米法とくにアメリカ法を深く学び、そこで帰納的な大陸法ではなく、経験主義的な英米法の、具体的妥当性を確保した問題解決のための「エクイティ(衡平法)」、つまり英米法でコモン・ローの硬直化に対応するために大法官が与えた個別的な救済が、雑多な法準則の集合体として集積したものを身に付けていたからではないかと思いました。つまり、一般的普遍性と個別具体的な妥当性の両方に足を掛けて、その両方に目配りしながら具体的な解決基準を引き出そうとするスタンスです。

それを遺憾なく発揮したのが、中村が裁判長をつとめた1981年の以下の判決です。もしこのロジックを追出し裁判に適用したら、この仙台高裁判決は破棄される可能性がある、と。 調査官によると、この時、中村はロールズの「正義論」を念頭に置いたかもしれない_、と。
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 弁論再開をしないで判決をした控訴裁判所の措置が違法であるとされた事例
https://www.courts.go.jp/app/files/hanrei_jp/364/053364_hanrei.pdf

また、中村は大阪空港公害訴訟の上告審が係属していた第1小法廷のメンバーで、同じメンバーの団藤重光らと差し止めを認めた2審判決を追認する方向だったのが、大法廷に回されたため差し止めが認められなくなりましたが、中村はこのとき反対意見を書いているのですね(論点が多く、未だ精読していませんが)。

ともあれ、中村が「手続的正義」の理念と「エクイティ(衡平法)」の精神から書き込んだ最高裁判決の遺産を、ちゃんと学んでおきたいと思いました。

彼の「裁判の客観性をめぐって」に書き込まれた中村の直筆
https://static.mercdn.net/item/detail/orig/photos/m64879197445_9.jpg


 

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