これまでよく聞かれた議論として、
マルクスは、初期マルクスを経て、そこからさらに飛躍、成長して中期、後期マルクスに変貌し、真の社会主義者になった、と。
そこでは、あたかも真のマルクスは初期マルクスからの脱皮、飛躍の結果、獲得されたかのように語られる。その結果、初期マルクスの核心はどうでもよいことにされてしまう。
その語られ方は初期毛沢東も同様だ。そこでは、 初期毛沢東の核心は精々ノスタルジアとして語られるだけで、実際のところどうでもよいものにされている。
しかし、この見方は根本的に間違っている。なぜなら、初期マルクスの核心はそんな簡単に脱皮、飛躍して済むものではなく、彼にとって生涯、維持確保すべき不滅の基盤となるものだから。そして、その正体はーー人権。初期マルクスもまた、政治に対して人権をキーワードに世界を再定義しようとしたのだ。
それは初期毛沢東も変わらない。初期毛沢東が後期にはないほど明るいのは彼が政治と対峙したバリバリの人権活動家だったからだ。
以上は仮説である。しかし、この仮説は徹底的に吟味、検証する価値のある仮説である。
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