2024年2月7日水曜日

【第9話】58年間の振り返り(2):2人の最高裁判事(横田喜三郎と中村治朗)の評価に対する間逆のコペルニクス的転回(24.1.11)

以下は、子ども脱被ばく裁判の弁護団MLに投稿した一文。


これまで、国際法の泰斗横田喜三郎長官を頑固なリベラル派として高く評価し、他方、中村治朗最高裁判事を「全体の奉仕者」論など数々の反動の理論的司令塔のように考えて来ました。
しかし、この冬休み、かれらの行動の詳細を知る中で、それがいかに一面的、表層的な理解(というより正確には誤解)に基づくものか、己の無知を思い知らされました。その結果、この2人に対する評価が間逆になりました。

私が横田喜三郎に強く惹かれたのは、ここ数年のことで、それは子ども脱被ばく裁判や避難者追出し裁判で、原発事故の救済に関する法体系が「法の欠缺」状態にあり、その「欠缺の補充」が必要とされる時、その補充の方法をめぐって、「法の序列論」を導入することが必要となったとき、この序列論を最も論旨明快に展開していたのがハンス・ケルゼンの「純粋法学」であることを、横田喜三郎の『純粋法学論集』 1-2 有斐閣 1976-1977から教わったからでした。
戦前に書かれた、横田の『純粋法学論集』を読んだ時、こんなに論理明快な法律書にお目にかかったことがないと、その原理主義者としての横田に脱帽し、横田の弟子になろうと思いました。また、戦前、満州事変に対して「軍部は国際法違反をしている」と公然と口にしたという、その頑固なリベラリストぶりにも、311後の学者の振舞いと対比した時にも、痛く感銘を受けました。

そして、純粋法学のケルゼンを師とした横田の竹を割ったような論理明快な法律感がその真骨頂を示したのが、憲法学者たちから戦後の人権判決の金字塔と評される1966年の全逓東京中郵事件最高裁判決です(横田が合議を指導し、彼の退官直後に判決言渡しがあった)。学生時代、この判決を読んだ時、血沸き、肉踊るような、なんという論理明快、情熱溢れる文章だろうとビックリしたのは私だけではないでしょう。つまり、この判決に深く驚愕したのは保守政治家、官僚、経営者たちだったと、彼等の危機感、恐怖感はいかばかりだったろうと今にして初めて想像しました。この深刻な危機感、恐怖感が彼らをして、必死の挽回策に駆り立てた。その努力の結実が7年後の全農林警職法事件最高裁判決です。公務員は国民全体の奉仕者であるという「全体の奉仕者」論を全面に出す、文字通り人権抑圧の全面的開き直りの判決でした。そして、この判決がその後の最高裁の方向性(人権保障に過度に慎重、臆病になる)を決定する決め手になりました。
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私は、戦後の人権裁判の方向性を決めた2つの判決(全逓東京中郵事件最高裁判決・全農林警職法事件最高裁判決)に対し、これまでずっと、単純な評価しかしてきませんでしたーー全逓東京中郵判決は素晴らしいが、全農林警職法判決はひどい、と。
しかし、なぜ、あそこまでど反動の全農林警職法判決が登場したのか、その登場を招いた重要な呼び水を、全逓東京中郵判決が果たしたのではないか、という歴史の弁証法について思いを馳せることは全くしてこなかった。つまり、全逓東京中郵判決は司法の判断として「解き方をまちがえた」のではないか、という問い直しを全くしてこなかった。
その結果、素晴らしい全逓東京中郵判決を葬った最高裁は許せない、劣悪だ、度し難い存在だ、とこき下ろすだけで、そこから何一つ、展望のある取組みのビジョンは引き出せなかった。
これに対し、全逓東京中郵判決は「解き方をまちがえた」のではないか、という問いを投げかけたのが、後の最高裁判事千葉勝美です。
彼は、
憲法学からみた最高裁判所裁判官 70年の軌跡
https://www.nippyo.co.jp/shop/book/7511.html
の冒頭に寄稿を寄せ、大きな政治的混乱期にあった公務員の労働運動(実態は安保反対等の政治運動)に、正面から切り込んでいった横田喜三郎や田中二郎らの全逓東京中郵判決が、その人間的誠実さ、良心は疑う余地がないとしても、そのドラスティックなやり方(大きな政治的混乱期にあった政治問題に司法が正面から乗り出す)の強引さ、強烈さが、その強引さ、強烈さと同じだけの(実際は権力者たちの恐怖心から倍返しの)強引さ、強烈さを帯びた正反対の全農林警職法判決をもたらしたことを指摘していた(ように私には読めた)。

つまり、千葉は、極めて政治的影響の大きい問題を司法が扱おう時には、その判決が政治的混乱をどれくらいもたらすのかについて「政治的深謀」をめぐらせた上で、最小限の政治的混乱に留まるような法律的解決の探求に全力を注ぐべきだと言いたいように思えた。その鮮やかな事例が、反動的な全農林警職法判決のあとに出た、公務員の政治活動の自由を厳しく制限した1974年の猿払事件最高裁判決を、2012年の堀越事件で千葉が裁判長として主導して事実上判例変更をしたことです。この堀越事件で、千葉は「俺は猿払事件最高裁判決を判例変更なんかしていない」とわざわざ注意深く弁明を用意して、保守反動層が猛反発するのを抑え込み、いわば公務員の政治活動の自由の解禁を「保守反動層が眠るように諦める」よう、用意周到にお膳立てしたのです。

これを見た人が、千葉は何という臆病者だ、と評するかもしれない(昨年まで、私もそう思ったひとりでした)。しかし、今は、こういうやり方こそ、お手本にすべきなのだ、と最大限の賛辞を千葉に捧げたい気分です。つまり、極めて政治的影響の大きい問題を司法が扱う場合には、さっそうと人権保障を掲げるような判決は、むしろ倍返しの逆風を生む恐れがあり、却ってマイナスになる危険が大きい。ここで求められることは
「ジワジワと人権保障を1ミリでも前進させよう」
とする高度の政治的熟慮と法的なテクニックです。

そのような問題意識を最高裁の中で貫こうとしたのが、昨年までず、反動の理論的司令塔だと思ってきた中村治朗です。
これまで、彼の素晴らしさを正当に評価できなかった自分の政治的未熟さを噛み締めているところです。

中村治朗については、別便で。

 

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