この間、「原発事故に人権を!」を掲げるチェルノブイリ法日本版の7.12対話集会(上のチラシ参照)の準備をしていて、或るメンバーの独り言のような次の言葉にショックを受けた。
「人権っていうけど、それが何なのか、実はよく分らない」
2年前、「政治・政策から人権へのシフト」という大転換の視点からチェルノブイリ法日本版のブックレット「わたしたちは見ている」(末尾の画像参照)を出版した時、これが少なくとも私の新しい出発点だとばかり思っていた(ブックレット前書き参照)。だが、それが最も身近にいるメンバーにも共有されていないことを教えられ、このことがブックレットが新しいムーブメントを巻き起こすことが出来ない根本原因でもあるのではないかと気づかされた。というのは、人権というのは誰もが知っていて、実は誰もその正体を知らない、現代の神みたいな不可解、不可思議の存在、誰もが躓く躓きの石だ。
ブックレットを真に普及させようと思ったら、人権の「意味」について掘り下げる必要がある。
それで、そもそも「人権」ってなんなんだ?について、もう一度、頭をまっさらにして考え直す必要に迫られて、半世紀以上前に買ったピュァリ「思想の自由の歴史」(岩波新書)を読み始め、思いがけず衝撃を受けた。これは過去500年以上前のことではなく、311以後のここ最近のことが書かれていたからだ。
それで、以下のことについて考えてみた(以下、別の投稿で)。
・人権は絵空事、唐人の寝言か? >第17話
・人権に力があるとしたら、それはどんな風な力なのか? >第18話
・人権の(歴史的な)起源はどこにあるのか? >第19話
・人権の限界はどこにあるのか? >第20話
・人権と向き合うとはどういうことか? >第21話
・人権の未来は人権の起源にある? >第22話
これらについて、初心にかえって、E.T.の宇宙人みたいな気持ちで地球に誕生した「人権」について再考しようと思った。
そして、7月12日の対話集会でこれらについて思う存分、対話してみたいと思う。


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