これは昨年(2025年)暮れ、私たちの呼びかけに応えてチェルノブイリ法日本版の会への参加を決断された菅谷昭さんの紹介です。
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菅谷昭さんは、松本市長時代、311直後から、福島県の子どもたちの被ばく影響を憂慮し、国策として集団疎開の必要性を正面から訴えた日本の自治体の唯一の首長です。その貴重な声に耳を傾けない国に抗するため、松本市に福島県の子どもたちを国内留学させる「まつもと子ども留学」を提案し、このプロジェクトは成功しました。
しかし、この成功体験を日本中に広げる取組みは後続が実現せず、失敗に終わりました。同時に、彼は日本人の最悪の病気が「難治性悪性反復性健忘症」にあることを見抜き、311直後は騒いでも、やがてこの病気が蔓延し、原発事故の救済は人々の忘却のかなたに打ち捨てられる運命が待ち受けている困難も予知していました。
奮闘努力された彼は、2024年公職を退いた時点で、余生をゆっくり送る積りでした。ところが、チェルノブイリ法日本版の取組みを知り、自分が311以来ずっと訴えてきたことを今も変わらず訴えているStupidな人たちがいることを知り、この取り組みは全国行脚してでも日本中の市民に届ける必要があると再認識され、新老年として力の許す限り余生を日本版の実現に捧げようと入会を決断されました。
同時に、彼は「自分は人寄席パンダではない、日本版の輪を広げるのはひとりひとりの会員の主体性にかかっている」を唱え、もうひとつの日本人の最悪の病気「難治性悪性反復性依存症」の克服を訴えています。
菅谷さんの決意を活かすも殺すも私たち次第であると、彼の入会の重みをひしひし感じています。
(2026年5月11日 柳原敏夫)
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2013年6月 子ども留学立ち上げメンバーとの2回目の打ち合わせ |
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2014年4月、入寮生激励に寮訪問した時、子どもたちと記念撮影
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