その2:人権が無力でないとしたら、それはどんな意味で力なのか?
言い換えれば、
人権に力があるとしたら、その力の正体は何か?
これは、市民運動の中でしょっちゅう直面する課題。
人権の力をどう捉えるかについて、ひとつの典型が市民運動、とくに活動家と言われる人たちにときどき見受けられるのが次のような考え方。
人権は重要だ、しかし、それは何か人々を動かす理念や理想なのではなく、あくまでも市民運動(政治・政策)を実現するための有力な「手段」として重要なのだと。
だから、彼らのスローガンは「政治・政策実現のための有力な手段=人権」。
だから、ブックレットの「政治・政策から人権へのシフト」に対し、きっと根本的な違和感がある。
だから、人権の尊重の念がないと言わないまでも、正直なところ、人権の尊重の念は薄い、希薄。だから、人権への生の共感も実感としてないにひとしい。人権は、あくまでも目的達成のための手段・道具でしかない。
さらに立ち入ると、それは思想の根本に関わることであって、例えば、唯物論に立つ正統派のマルクス主義の立場からは、すべてを歴史の運動の過程・発展の中で捉えるから、「国家に先立つものとしての自然権としての人権」などという考え方は幻想であり、その実在を認めない。人権はあくまでもブルジョア自由主義というイデオロギーの中から出てきた考え方にすぎず、現実のブルジョア社会やブルジョア国家を超えた自然権とか人権というものは認めない。せいぜい、いわゆる人権が誰も反対できないことを(なぜ人権がそのような性格を持つのかについて、その意味を考察しようとせずに)、単にイデオロギーとして政治・政策を実現する手段として有力な切り札になるという効用に着目して、これを有効活用しようという、もっぱらプラグマティズムの発想で人権を利用しようと目論む。だから、トランプですら反対できない人権の「超政治的・超政策的な力」の意味が分らないから、こういうリアルポリティクスの立場に立つ人たちには、なぜトランプがイランに敗れたか、その理由が実はよく分からない。
ただ、他方で、人権はお金や首相の地位などのような政治的、社会的、経済的な力とはちがう。人権を持っているから、そこから自動的に力が生じるものではない。では、どういうときに、どういうカタチで力を持つのか。
ーーもしそれが分ったら、そのとき、ブックレットの第2版が出せる。これは、それくらい決定的な問いだと思う。
ここでは、この問いに対し極めて個人的な体験でもって答えを試みることにする。
1、高校3年生のとき、授業をサボり続けた私は担任から退学するように勧告されたとき、この時ほどフランス革命の人権宣言とりわけ市民に圧制に対する抵抗権・革命権があるということが身に沁みたことはなかった。このとき、担任は「君は入学するときに校則を守りますと誓約した。しかし、今、君は校則を破って、授業を無断でサボっている。だったら、校則違反として退学したまえ」と完璧に合法的に私に処分を下そうとした。私に残されていたのは、合法という名のもとに私の「教育を受ける権利」を侵害するようなクダラナイ受験勉強を押し付ける授業をボイコットする権利つまり、私に真に学ぶに値するようなまともな「教育を受ける権利」を保障しろと要求する抵抗だけだった。それが200年前のフランス革命の教えだったことをこの時ほど痛感したことはなかった。
つまり、合法的な装いのもとに私を有無を言わせず授業に出席させるというこの秩序形成のやり方、この現実を受け入れ追随することに耐えられなかった私に、うしろから背中を押して、いいんだぜ、学校権力者たちが作り出す既成事実への追随、これをキッパリと否定することを人権は全面的に支持し、応援すると言い放った。
この時、私にとって人権とは、歴史のテストでただ丸をもらうための知識なのではなくて、私にとって、自分の人生の岐路に立ったとき、生き方を決定する上での最大の力=支え、支援となる、私にとって最高の宝物となった。
ただし、この当時、私は自分が体験したことの「意味」を理解することができず、ただ漠然と、オレはフランス革命の人権宣言を宣言した市民たちの気持ちが痛いほど分る!と独りで叫んでいただけで、この貴重な体験を共有できる友人もいなかったため、人権のエッセンスを発見するあと一歩手前のところで、その発見が出来ないまま、孤独の奈落の底に落ちていった。
2、それから20年以上経った、いわゆるブル弁(ブルジョア弁護士)として著作権法という分野の仕事をして、せっせと金儲けに励んでいた時代の末期のこと。真面目に金儲けに励んでいたから真面目に著作権法の勉強もしていた。そのため、或る時、著作権法の正体を知るに至った。その正体とは一言で、欺瞞法、弱肉強食をさらに推進した「強きを助け、弱きを挫く」法、数ある法律中でも市民にとって最も悲惨な法律、いわば「法律のアフガン」或いは「法律のガン」というべき正体だった。もともと小説や映画が大好きで、その分野なら、無味乾燥な法律の仕事がかろうじて続けられるのではないかという不純な動機で著作権法を選んだ。ところが、選んだ相手の著作権法はいわば資本主義の最先端の法と言われるだけあって、「著作権法を見れば、資本主義の未来=最先端が見えてくる」ことに直面してしまった。
その結果、著作権の仕事を通じて知り合った映画の監督や脚本家、スタッフたちが、実は本当に報われない、悲惨な生活を強いられていることを次第に知るようになり、しかも、その悲惨な状態を正当化しているのが自分が選んだ商売道具の著作権法であって、著作権法を前にしては、作品(著作物)の生産者(著作者)は悲惨な地位の改善を求めても手も足も出ない。この窮状を前にして、どうにも出来ない私は自分の無力さ、非力さをいやというほど思い知らされ、落ち込みんだ。その落ち込んだ末に、奈落の底で出会ったのが想定外の法、憲法だった。
作品の生産者に、生産者が創り出した芸術的、文化的価値に相応しい人間的な待遇を与えよ、つまり彼らを人間として扱え!、この叫びを支えてくれたのが憲法の人権だったことに、或る時気がついた。その瞬間、司法試験に合格して以来、ずっと書棚の奥底にしまい込んでいた憲法の人権の教科書を再び取り出して、そこに書かれている人権の言葉が、劣悪な非人間的な境遇の中に置かれている作品の生産者たちを人間として扱うことを求める叫びを全面的に擁護する最高のものであることを見出した。このとき、それまで見えなかった私の目は見えるようになった。著作権法はその上位規範である憲法の人権規定によって破られる(再構成される必要がある)。それを発見したのだ。そして、それが坂本龍一、ちばてつや、鄭義信などの作品の生産者たちと出会う始まりだった。これに反し、もし私自身の中で、暗黒社会を正当化する「法律のガン」である著作権法と格闘する中で憲法に出会った体験がなかったら、坂本龍一たちと出会うこともなかった(せいぜい、ビジネスライクにすれちがっただけで終わった)。
そうすると、人権が力を持ち得るのは「既成の力(権力・金力など)で作られた既成事実への追随」、これをキッパリと否定する瞬間であり、この瞬間を共有できる相手と出会うことが人権を共感できる相手と出会うときなのだ。そういう出会いの積み重ねが人権の力が社会的な広がりを持つときなのだ。そのような出会いをしない限り、人権を単に市民運動の便利な道具・手段としてしか考えない運動家の人たちと何回顔を合わせても、彼らとはついに永久にすれちがうだけでナッシングで終わる。
とはいえ、「既成事実への追随」をキッパリと否定する瞬間を共有できる相手と出会うなんて簡単に出来ることではない。よほど運がよくないと起きないことで、至難の業のように思える。
しかし、60年近く前、高校3年でフランス革命の人権宣言を我が事のように切実なものとして受け止めていた私は、当時、その「意味」を自分で理解することができず、その後、20年以上、人権から遠ざかる迷い道にはまり込んでしまったのに対し、もし当時、誰かがそばで「君はフランス革命という人類史の中で市民が経験した最も貴い体験を追体験しているのだから、その貴い追体験の意味を突き詰める必要がある」と、対話を通して諄々と教えてくれたなら、私の青春はすっかり別物になっていたかもしれない。つまり私たちの周りには、あと一歩で、人類の人権獲得の「意味」の一歩手前まで来ていて、そこで足踏みして行動に踏み出せない人たちがまだまだたくさんいて、そういう人たちに対し、対話を通じて、人権の「意味」を発見する体験を実行する必要があるのだ。
そして、このような対話を通じて相手の人が人権の「意味」を発見したとき、それがどのような個人的な刻印を帯びていようとも、そのとき、私たちは人権についてひとつの交換を経験し、その交換を通じて、新たなネットワークを作ることができる。そのような、人権を通じてつながりあうネットワークが、ブックレットで表明した日本版のネットワークなのではないかと思う。
しかし、以上はまだまだ抽象的で、空理空論にすぎないが、少なくとも今月12日の対話集会のひとつの目標が私の中で明確になった。
フランス人権宣言

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