2026年7月6日月曜日

【第22話】人権についてのつぶやき(6):人権の未来は人権の起源にある? ーー人権のもう1つの起源はイソノミアーー(26.7.7)

他の「人権についてのつぶやき」は>こちら

             沢田研二「イソノミア」(2017年)
前置き

なぜ過去の歴史を学ぶのか。それについて柄谷行人はこう述べた。

小説の未来は小説の過去にある、と後藤明生が書いている。小説が何処へ行くかを問うには、それがどこから来たかを問うべきである。‥‥これはほかの領域にもあてはまる。われわれがどこへ行くのかを問うには、どこから来たかを問うべきである。資本主義の未来は、資本主義の起源にある。(批評空間93NO.9編集後記)
これを原発事故の歴史に当てはめるとこうなる。
福島原発事故でわれわれがどこへ行くのかを問うには、それがどこから来たかを問うべきである。福島原発事故の未来は原発事故の起源(過去)にある(「6.24」提訴から一周年の思い――なぜ、ふくしまで集団疎開が実現しないのか。疎開裁判から市民立法へ(2012.7.19一部追加))。
これを人権について当てはめるとこうなる。
   人権についてわれわれがどこへ行くのかを問うには、それがどこから来たかを問うべき  である。人権の未来は人権の起源にある。

本題
昨日、7月12日の対話集会の登壇者小川晃弘さんと打ち合わせをしていて、彼が作成したパワポ資料を眺めているうちに、不思議な気分になった。
それは彼が
力説する「政治・政策」と「人権」の本質的なちがいが、私にあることを気づかせてくれたからである。
それは「
政治・政策」とは、人の人に対する支配を前提として、そして支配に帰結するものとして構想されているのに対し、「人権」は人の人に対する支配を根底から否定することを前提にして、そこに帰結するように運用されるものとして構想されているということ。だとしたら、それは「デモクラシー(多数者支配)」と「イソノミア」と言い換えることができるのではないか。つまり「政治・政策」と「人権」は「民主主義」と「無支配」と言い換えられる。

311の原発事故で、民主主義の著しい機能不全を体験した時、この矛盾は代表民主主義の危機であり、この危機は直接民主主義によって克服するしかない、それ以外にはないと思って行動してきた。
しかし、そのような民主主義に対する認識(
代表民主主義はダメでも直接民主主義なら何とかなるのではないか)では甘いことを、のちに知った。それが柄谷行人の「哲学の起源」(2012年11月)だった。
その中で、民主主義が「デモクラシー」の英訳から明らかな通り、デモ(
多数者)によるクラシー(支配)=多数者支配のことであり、王制や貴族制の「少数者」による支配を否定するものであっても、支配である点はそれまでの王制と変わらないことを教わった。つまり、直接民主主義であっても、しょせんは多数者「支配」の枠組みの中のものでしかなく、人々と賛成と反対に仕訳し、多数決で少数者の政策を排除し、分断をもたらす「政治・政策」のロジックが貫徹される点では、既に機能不全に陥っている代表民主主義と変わらない。

ブックレット「わたしたちは見ている」で、人々を賛成と反対に仕訳し、多数決で少数者の政策を排除し、分断をもたらす「政治・政策」のロジックを乗り越えるために見出されたのが「人権」のロジックだった。なぜなら、人権は全ての市民が享有するものであるから、人権に関して全ての人はひとしく尊重され、多数決で少数者の政策を排除せず、分断をもたらさないロジックだからである。

だとしたら、人権とはイソノミア(無支配)の別名なのではないか。柄谷行人は哲学の起源」の中で、紀元前6世紀、古代アテネの民主主義が栄える以前に、人が人を支配しないイソノミア(無支配)が古代イオニア地方に実在したが、その後滅亡し、その記憶がイオニアの自然哲学(タレスやヘラクレイトスなど)やソクラテスの中に刻まれていると書いたが、この記憶を最もリアルに、なおかつ生き生きと保持しているのが人権のロジックなのではないか。

言い換えれば、ブックレット「わたしたちは見ている」は、「政治・政策から人権にシフト」することを通じて、311後の人権侵害のゴミ屋敷に化した日本社会を再建する道筋を見出そうとした。それは人の「支配」を本質とする政治・政策から、人の「無支配」(イソノミア)を本質とする人権にシフトすることで、日本社会の再建をめざす試みなのではないか。

 ブックレット「わたしたちは見ている」を出版した2年前、「政治・政策から人権にシフト」というアイデアが奇想天外、唐人の寝言のようにバカにされるかもしれないと思ったが、2年の年月を経て、このアイデアは柄谷行人の「哲学の起源」とリンクすることで、イソノミア(無支配)に起源を持つ、すこぶる示唆的、刺激的なものに根ざしていたものだと分った。

そして、私たちの取り組みは人権を、単なる観念的な操作、議論にとどめるのではなく、現実の社会の人間関係のあり方を組み替えていく際の羅針盤として考えるものである。
例えば、私たちの働き方について、経営者の指揮命令に従属するという支配を本質とする賃労働から、無支配(イソノミア)を本質とする協同労働=協同経営の協同組合へのシフトも、
311後の人権侵害のゴミ屋敷に化した日本社会を再建する道筋の重要な柱として考えている。

                2012年11 月出版

0 件のコメント:

コメントを投稿

【第22話】人権についてのつぶやき(6):人権の未来は人権の起源にある? ーー人権のもう1つの起源はイソノミアーー(26.7.7)

◆ 他の「人権についてのつぶやき」は> こちら              沢田研二「 イソノミア 」(2017年) ◆ 前置き なぜ過去の歴史を学ぶのか。それについて柄谷行人はこう述べた。 小説の未来は小説の過去にある、と後藤明生が書いている。小説が何処へ行くかを問うには...