これまでの市民運動の中心は市民主導で政治を変えること、政策を実現することにあると考えられてきた。その際、人権が語られるときも、人権は政治、政策を実現するための「手段」でしかなかった。
しかし、それでは根本的にダメなんじゃないか。その反省の中で出てきたのが、人権は市民運動の「手段」ではなく、市民運動の中心そのものであるという考え方。
その考え方を定式化したひとつが「政権分離」、人権を政治の手段とせず、政治と癒着せず、政治から分離して自立させるべきであるという命題。宗教を政治の手段としてきた過去の猛省から生まれた「政教分離」、これをさらに「政権分離」まで拡大すべきなのだ(その詳細>こちら)。
市民運動 その可能性の中心はこのような人権実現にある。